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7月27日 軽井沢 13日目
7時半に目覚める。ワルテルが飛んできたが、マージの姿はない。目をこすりながら居間に行くと、マージは相変わらず怠惰に眠っていた。これが軽井沢ならワルテルと一緒になって、飯を食わせろ、散歩に連れていけとわたしをせっつくのに、見事な変わりようだ。東京は彼女にとって、牢獄のようなものなのかもしれない。狭い部屋(決して狭いわけではないのだが)に閉じこめられ、限られた時間だけ運動をゆるされる。
それに比べて、軽井沢は天国だろう。部屋の中にいたって、木々のざわめきや虫や鳥の鳴き声が聞こえ、耳をそばだてれば無限に時間を潰すことができる。外に出れば、自由奔放に動き回れる森や林があちこちにあるのだ。
マージのために、軽井沢に家を建てる。それも、わたしにとっては強い意味を持ちはじめている。軽井沢に移住した先輩作家の唯川恵大姐がいっていた。ずっと自分のために生きてきたの。でも涙(ルイ、セントバーナード)と一緒に暮らすようになって、犬のために生きるのもありかなと思って。
マージが死んでも、ワルテルが死んでも、きっとわたしは犬を飼い続けるだろう。わたしの体力、経済力が続く限り。ならば−−最近はいつもそんなことばかり考えている。
冷蔵庫の中に野菜はないので、ケーナインヘルスを似て、ラムの挽肉と混ぜ込む。冷めるのを待つ間、わたしは自分の食事だ。沖縄そば風味の春雨ヌードル。食い足りないが、味はいける。
食事を終わらせ、少し休んでから、マージと外に出る。マージは相変わらずやる気なしの態度だ。小便と大便をさせてから、車に乗る。マージの顔が一瞬輝いたが、ワルテルがいないことでなにかを察したのか、すぐに笛を吹き出した。
「そのとおり。今日は病院だよ、マージ」
マージは悲しそうにわたしを見、自分の意志など通らないことを確認して、ふて寝した。
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| ご飯、待ってるんです。 |
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| ぼくもです・・・。 |
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| もしかして、マージはもう食べた? |
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| 二匹が待っているのはこれ。ケーナインヘルスを煮ている最中。 |
* * *
プレマ動物ナチュラルケア・クリニックで組織細胞治療の薬を受け取った。やく一ヶ月半にわたる治療プロトコルの詳細を書いたメモも一緒に。プレマの羽尾先生は、読めないドイツ語と悪戦苦闘し、ドイツとメールのやり取りを繰り返したましたと苦笑いしていた。
先生に、マージの胸のしこりを触診してもらった。
「本当だ。柔らかくなってる。いい兆候ですよ、これ」
先生のこぼれんばかりの笑みが、豪雨の中でのドライブで疲れたわたしを癒してくれた。
薬をもらえば、今日の診察は終わりなのだが、その後も先生といろいろ話した。なぜマージのしこりが小さく、柔らかくなったのか。抗癌剤? それともこれまで続けてきたホメオパシー治療のおかげ? あるいは毎日ペンダントを回したイネイト治療? 先生にも確たることはわからない。
「でも、環境が一番かもしれないですね」
先生まで、わたしに軽井沢に家を建てろとけしかける。先生にそんなつもりはないのだが、わたしにはそう聞こえるのだ。
今住んでいるマンション以外に、中古のおんぼろマンションを持っている。あれを売って頭金にすれば、各出版社に嘘八百を並べ立てて金を借りれば・・・借金なんて、死んだら返さなくてもいいのだ。だったら、借金できるうちにしておくべきだ。
天使がわたしに囁きかける。
40分ほど雑談をして、結局、マージに促される形で病院を辞去した。羽尾先生、いつも親身になって相談に乗ってくれて、ありがとうございます。
首都高の渋滞に巻き込まれながら、後部座席で熟睡しているマージの身体に触れた。マージは暖かい。わたしが愛する暖かさだ。
マージはちらっと目を上げ、まだ家に到着していないと判断すると、さっさと眠りに戻ってしまった。
* * *
連れあいがワルテルとの散歩のついでに買ってきておいてくれたサンドイッチ類を食べて、仕事に向かう。一日たりともさぼれないのが今のわたしだ。仕事ができる時にしておかなければならない。
昨日の今日だというのに、犬たちは東京での生活のリズムを取り戻したようで、わたしが声をかける前に、わたしの仕事部屋に入っていった。二匹とも、仕事をしているわたしの足元で眠る。それが日課なのだ。
午後4時で仕事を切り上げたが、マージを外に出す気にはなれなかった。ベランダでおしっこをさせようと促しても、マージはする素振りすら見せない。昨日の夜からほとんど水を飲んでいないのだ。ハンガーストライキならぬ、サーストストライキだ。
ケーナインヘルスと馬肉の夕食を作ってやり、食べさせてから連れあいと待ち合わせた新宿伊勢丹に向かう。レストラン街で西櫻亭でビーフシチューとメンチカツのセットを頼む。ここはかつて洋食の有名店「香味屋」の支店だったのだが、いつしか名前が変わってしまった。ナイフを入れれば肉汁が溢れたメンチカツも、味が変わった。がっかりしながら帰宅する。
軽井沢に行く支度をしていると、ただただ怠惰に眠っていたマージが起きだし、そわそわとしだした。うっすらと輝きはじめた目がわたしに問いかけてくる。
ねえ、ねえ、またあそこに行くの?
「そうだよ、マージ。またあそこに戻るんだ」
すべての支度を整え、荷物と犬たちを車に積んだのが午後9時。
練馬に着くまでは意外と道が混んでいたが、関越道に乗ると、快適な夜のドライブだ。前夜と違って雨もなく、カーナビに差し込んだCDから流れてくる音楽ではなく、連れあいのお喋りが道連れ。疲れはぐっと減る。
上信越道に逸れ、カーブの続く山道に入っていくと、後部座席で寝ていたはずのマージの激しい息づかいが聞こえてきた。マージは首を持ち上げて窓の外に視線を向けている。空気の匂いが変わったのだろう。マージの心は弾んでいるようだった。貸別荘地の駐車場に車を入れると、マージの呼吸はさらに激しくなった。
帰ってきた! また東京にずっといると思ってたのに、戻ってきた!!
もちろん、犬にそこまでの思考力はない。だが、純粋な喜びにマージの痩せた身体が満たされているのをひしひしと感じることができる。
車から降ろすと、マージは小躍りしながら歩き出した。ワルテルがおれも降ろしてくれと荷室で騒いでいる。
「わかった、わかった」
ワルテルを降ろし、荷ほどきは連れあいに任せて別荘地を歩き回る。東の空に半月が輝いていて、月光の下、マージは笑いながら我が物顔で歩き回っていた。
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| ねえ、どこに行くのさ?
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