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7月29日 軽井沢 15日目
ワルテルに顔をつつかれて目覚めた。なんだよ、まだ目覚まし鳴ってないだろうと思いつつ、時計に目をやると8時15分だった。目覚ましはどうなったのか? わたしが止めたに決まっている。
慌てて起きだし、騒ぎ立てる犬たちの間を縫いながら、朝ご飯の支度をする。
昨日作っておいたスープを十三穀米入りご飯(東京から持ってきた)にかけ、レンジでチンした銀ダラ、フリーズドライの納豆、ヨーグルト、ごま油を混ぜ込んで食べさせる。
人間用は、スライスしたバゲット二きれ、アンチョビバター、クレソンのサラダ、牛乳。クレソンが信じられないほどうまい。もちろん、これもツルヤで買ったのだが、東京で食べる物とはまったく別だ。感動する。
犬たちの胃が落ち着くのを待って、スポーツパークに向かう。ドッグランに着いて遊んでいると、ゴールデン2頭、ラブラドール1頭、スタンダード・プードル2頭の軍団がやって来た。ワルテルが柵の近くに飛んでいって、軍団を威嚇する。すると、逆に吠えられて、ワルテルは慌てて飛びすさった。身の程知らずめ−−ワルテルをたしなめようとしたわたしより先に、マージが飛び出していった。ワルテルと柵の間に入り、五頭の犬軍団に吠え抱える。
ワルテルを守ろうとしているのだ。
朝のクレソンに続いて感動した。普段はワルテルのことを疎ましく思っているくせに、それでも群れは群れなのだ。自分より立場の弱い物は守らねばならぬ。年老いて身体が衰え、病魔に冒されていても、マージにはワルテルを守る義務がある。
牙を剥いて吠えるマージをなだめていると、ワルテルがドッグランの入口の方に近づいていった。入口の扉がうまく閉まらないので鍵をかけずにいたことを思い出した瞬間、犬軍団がドアを跳ね開けてドッグランの中に雪崩れ込んできた。逃げまどうワルテルを追いかけはじめる。
わたしとマージも慌ててワルテルを追いかけた。ドッグランには柵が巡らされている。どこかで追いついて犬軍団を追い払えば大事には至るまい。犬軍団も興奮しているだけで、さほど攻撃性が強いとは思えない。
バキッと音がした。そう思ったら、ワルテルと茶色のゴールデンがドッグランの外に飛び出、横のグラウンドを一目散に駆けていく。
なにが起こったのか理解できなかった。柵はワルテルが跳び越えられるほど低くはない。それなのに、どうやって……柵が壊れていた。追いつめられたワルテルが体当たりして、柵を突き抜けたのだ。
呆然とするわたしを尻目に、ゴールデンに追いかけられたワルテルはグラウンドの隅に向かって懸命に逃げていた。マージはワルテルを守ることを忘れて、プードルたちと匂いを嗅ぎあっている。もっとも、マージにその気があったとしても、これだけ距離が離れてしまえばなにもできない。破壊された柵と、懸命に逃げるワルテルを見ていると、次第に笑いがこみ上げてきた。腹の底からこみ上げてくる笑いだ。わたしは大声で笑いながら、ワルテルの後を追った。
やっと犬軍団の飼い主がやって来て、指笛でゴールデンを呼び戻した。ワルテルを追い回している時の勢いは急に萎え、そのゴールデンはワルテルのところに向かっているわたしに挨拶をして、すれ違っていく。
ワルテルはグラウンドの隅っこでこちらの様子を伺っていた。犬軍団が飼い主の周りに集まり、わたしだけが自分のところに向かっていると確認してから、ワルテルは一目散にわたしのところに駆けてきた。怖かったよう、小便ちびっちゃったよう−−その顔はそう告げている。
わたしはしゃがみ、柵を破壊したワルテルに怪我がないかどうかを確認した。どこにも異常はない。
「吠えかかる時は相手を見ろよ。それから、かなわないと思ったら、お腹を見せて降参するんだ」
押っ取り刀でやって来たマージがワルテルの匂いを嗅いでいた。
ワルテルをリードに繋いでドッグランに戻ると、飼い主が恐縮していた。サーファー風の外見だが、礼儀はきちんと弁えている。
「本当にすみません、怪我はないですか?」
「大丈夫みたいです」
我々が言葉を交わしている間も、よせばいいのにワルテルが遠くから犬軍団に吠えまくっている。落ち着きはじめていた犬軍団も、それに呼応してまた興奮していく。
「ノー、ワルテル。やめろ」
わたしとマージがそばにいれば、ワルテルも強気なのだ。腰は引けているが。
飼い主が犬軍団を引率して車に乗せた。わたしたちは再びドッグランに戻り、破壊された柵の前でしばし呆然とした。飼い主がまたやって来て、一緒に柵を見る。
「凄いですね、これ」
彼も目を丸くして柵を見つめた。
「凄いよね。どうやって外に出たのかと思ったけど、まさか、こんなことになってるとは思わなかったよ」
「ぼく、ドッグランの人に伝えてきます。本当に申し訳ありませんでした」
「いいよ、怪我はないから。でも、これからは気をつけて」
はい、と爽やかな笑顔を残して、彼はスポーツパークの事務所に向かっていった。ワルテルはわたしの背後に回って、彼に吠える。
「もういいよ、ワルテル。最初に向こうを興奮させたのはおまえなんだぞ」
違うもん、悪いのはあいつらだもん−−そういうように、ワルテルは吠え続けた。
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| だれか来たわ!! |
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| ここはおれたちの縄張りだぞ・・・ |
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| 怖いゴールデンがいなくなったのを確認して、一生懸命走ってくるワルテル。 |
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| ここを破壊して、外に逃げていったのでした。 |
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| ああ、怖かった。まだ耳が張りついちゃってるよ。 |
* * *
一旦別荘に戻ってワルテルを連れあいに任せ、わたしとマージは旧軽井沢菊池動物病院に向かった。横浜のプレマ動物ナチュラルケアクリニックでもらった薬を注射してもらうのだ。
今日から、一ヶ月強の組織細胞治療プロトコルをはじめるのだ。
プレマの羽尾先生からいただいた、注射を打つサイクルを書いた紙と薬の入ったアンプルのセットを菊池先生にわたし、熟読してもらう。濃度の低い溶液を4日間注射し、次いで中濃度の溶液を4日、さらに高濃度の溶液を4日、注射する。その後でSOLと呼ばれる溶液を週に二日、4週間に亘って注射する。
悪性の組織球症に効き目があるという保証はない。それでも、わたしとマージにはこの治療にすがるしかないのだ。
筋肉注射だからとわたしは緊張したが、マージは蚊に刺されたほどの痛みも感じていないようで、静かに注射を受けた。
「マージ、ワルテルはな、皮下注射だけでも悲鳴をあげたんだぞ」
頭を撫でながら語りかけると、マージはふんと鼻を鳴らした。
あの小僧はまだまだね−−そういっているように、わたしには思えた。
* * *
ベーコンエッグを焼いて、漬け物その他で昼ご飯を食べ、仕事に没入する。腰が張っている感覚があって、少しやばい。仕事用の椅子ではなくダイニングテーブルの椅子だから長時間座っているとダメージが蓄積されていくのだ。いずれ、近いうちに整体かマッサージを受けないと酷いことになりそうだ。
午後4時に仕事を切り上げて、犬たちと外に出る。暑い・・・。木陰にいれば涼しいとはいうものの、すぐに汗ばんでくる。軽井沢でこの暑さなら東京はどうなのだろう。マージがバテ気味なので散歩は短めに切り上げた。
犬たちの晩ご飯の支度−−ケーナインヘルスにラムの挽肉−−をしていると、ワルテルが外を睨んで吠えながら、敵が来たと知らせてきた(敵じゃないんだけどな)。
講談社T氏、A氏の来訪だ。親戚を除くと、初のお客さんである。初めて会うふたりに、ワルテルは警戒しつつ匂いを嗅ぎにいく。マージもおざなりではあるが、挨拶をしにいった。
ふたりとも東京は地獄の暑さだ、軽井沢は天国だといった。暑いんだけどなあ・・・
しばし歓談の後、犬たちにご飯を与え、プリマヴェーラというフレンチ・レストランに行く。テラス席が空いているという店員の言葉に連れあいが眉を吊り上げる。
「虫、でます?」
「そんなには」
連れあいはわたしを見つめた。
「ここは町中だから、この前ほどは出ないよ。でも、間違いなく出るけどね」
しばらく迷っていたが、連れあいもオープンエアの気持ちよさに負けたようだった。我々はテラス席に案内してもらった。
五味子という木の実をリキュールにつけ込んだ食前酒から宴ははじまる。鮎を使った前菜、オマール海老のミネストローネ風スープ。ハタのグリル。千代幻豚のソテー。味はなかなか。ときおり虫が飛んできて連れあいが絶叫したが、先日ほどの凄さはなく、落ち着いて味わうことができた。白ワイン1本、赤ワイン2本、食後酒少々。ご馳走様でした。
食後は、T氏の情報により、唯川恵夫妻が軽井沢駅前のカラオケパブにいることを知り、闖入しにいく。かなり大きな箱の店で、賑わっている。連れあいのお守りをT、A両氏に任せ、わたしは唯川大姐にいろいろと相談する。そのほとんどは、軽井沢に家を建てることについてだったが。
飲んでいたのはマッカランのストレートで、途中から泥酔している自分に気づいた。それでも、客観的に自分を見ていられたのは、犬たちがわたしを待っているからだ。
カラオケを2、3曲歌い、まだ飲みたいという連れあいをふたりに任せて、わたしひとり、帰途に着く。
時間は午前0時。マージもワルテルも遅く帰ってきたわたしを詰るでもなく、踊り、尻尾を振り、まとわりついて喜びを表現してくれた。2匹を外に出し、別荘地内をうろつく。散歩は20分ほどでゆるしてもらい、犬たちの足を拭き、水とおやつを与えると、わたしはベッドに倒れ込んだ。
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| レインコートじゃなく、クールコートが到着した。 |
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