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8月1日 軽井沢 18日目
目覚ましと同時に起き、犬たちの散歩に行こう攻撃を受けながら居間に出る。
「ワルテル!!」
思わず声を張りあげると、ワルテルが客室の方に逃げていった。テレビの前に噛み千切られた紙屑が散らばっている。テーブルの上に置いてあったチョコレート菓子の残骸だ。
そこに置いたまま寝てしまったわたしが悪い。しかしなあ・・・。
「ワルテル、カム!」
紙屑を拾いあげてワルテルを呼ぶ。ワルテルはおそるおそる、わたしの前にやって来る。叱られることはわかっているのだ。わかっていても、ついやってしまうのだ。
「テーブルの上のものは、ワルテルのじゃないだろう!?」
ワルテルはうなだれている。
「口輪して寝るか?」
ワルテルはハンド(お手)をする。ゆるしてくれと訴える。
「こんなことする犬は大嫌いだ」
わたしは憎々しい声でいって、ワルテルのハンドを無視した。これが、ワルテルにはなにより効くのだ。
しおれているワルテルとは対照的に、マージは散歩に行きたくてせっせとわたしを促している。カーテンを開けると空はどんよりと曇っていた。気温も低い。なるほど、マージのテンションが高くなるはずだ。支度を整えて、外に出る。ワルテルは叱られたことも忘れて飛び跳ねていた。そのまま車に乗り、スポーツパークを目指す。今日は、ドッグランではなく、横のグラウンドで遊ぼう。
公園に出てすぐ、ワルテルが玩具を見つけた。普通のテニスボールより一回り大きい、犬用のボールだ。だれかが忘れていったのだろう。ボールを遠くに放ってやると、ワルテルは一目散に駆け出した。テニスボールよりよほど気に入ったらしい。口にくわえて走り回っている。マージはといえば、相変わらず草を食むことに懸命になっている。わたしが呼べば、とっとこ歩いてくるが、またすぐ立ち止まり、草を食みはじめる。
「好きにしろ、マージ」
わたしはそういって、ワルテルとボール遊びを続けた。
やがて、マージも草を食むのに飽き、わたしの後をゆっくりついてきた。その顔には穏やかな微笑みが浮いている。気温は20度ぐらいだろうか。グラウンドの芝生は濡れ、気持ちのいい空気があちこちから流れてくる。犬たちも、この環境下ならいくらでも遊べるだろう。
だが、マージは違う。30分ほどすると、立ち止まる回数が増え、いつしか、わたしを車の方に誘導しはじめる。
「疲れたか、マージ?」
荒い呼吸を繰り返すマージの喉を撫でてやりながら、わたしは様子を確かめた。少し背中が熱いが、これといって具合が悪そうには見えない。ただ、疲れて帰りたいだけなのだ。
「ワルテル、帰るぞ」
わたしはひとりでボール遊びをしているワルテルに声をかけた。充分に走り回って満足したのだろう、ワルテルはすぐに戻ってきた。
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| いいもの見っけ。 |
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| あ、マージが近寄ってくる。なんだよ? |
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| ぼくのおもちゃ取らないでよ。 |
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| 楽しいのはいいけど、目やにはなんとかしなきゃな。 |
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| ボールを追いかけて、走る、走る、走る。 |
別荘に戻ると、マージは水を一気飲みした。これぐらいの気温なら、喉が渇くまで歩き回ることができるのだ。
食事の支度をする。犬たちには、昨日の夜煮込んでおいた煮干し、小松菜、ピーマン、トマト、生姜のスープと13穀米入りご飯、レンジでチンしたメカジキ、フリーズドライの納豆、ヨーグルト。わたしには桑の実ジャム入りのシリアル。
食事を終えてから、アロー建設の清水さんに電話する。予算を若干あげることを告げ、昨日Kさんに紹介してもらった土地を一緒に見に行ってくれないかと相談する。もちろん、清水さんの返事は「OK」だった。
マージを病院に連れていく。昨日までは連れあいがいたが、今日からはひとりで留守番のワルテルの吠え声がわたしたちの背中を追いかけてくる。
「ぼくも連れていってよ!!」
マージはワルテルの懇願を無視して、すたすたと歩いている。小僧は留守番で充分よ−−マージの背中はそう語っていた。
* * *
急患がいて、マージの診察時間が遅れたが、何事もなく注射を打ってもらい、別荘に戻る。しばらくメールチェックやらなにやらで時間を潰し、蕎麦を茹でるべく鍋をコンロにかける。
東京では毎月末に雪村蕎麦というのを信州から取り寄せて食べていたのだが、今回はこちらの別荘に送ってもらった。軽井沢にいて信州の蕎麦を取り寄せるのもいかがなものかと思うが、しかし、旨いからどうしても食べたくなる。軽井沢に来て、何軒か美味しい蕎麦屋さんにも行ったが、この雪村蕎麦はまた別格だ。蕎麦も旨いが、なんといってもつゆが旨い。生憎ネギをきらしていたので、ミョウガをみじん切りにして薬味の代用に。七味をつゆに散らして蕎麦をつけ、一気に啜ると−−極楽。狭いキッチンで、蕎麦を茹でるのは大変なのだが、その苦労をする甲斐はある。
蕎麦の風味とつゆの味付けに満足すると、あとは仕事あるのみ。たまにはゆっくり昼寝でもしたいのだが。
* * *
5時に清水さんが来ることになっているので、若干早めに仕事を切り上げ、犬たちと外に出る。今日は午後になってもそれほど湿度があがらず、爽やかだ。敷地を散策していると、マージが勝手に駐車場の方に歩いていく。なんだろうと思って見守っていると、マージはわたしの車の匂いを嗅ぎはじめた。
無言のデモンストレーションだ。車に乗せろ、ドッグランに連れて行けと訴えている。おそらく、別荘地は他人もいるので落ち着かないのだろう。
「マージ、今日はこの後お客さんが来るんだ。また今度な」
連れあいがいる時なら、夕方にドッグランに行くのもいい。だが、わたしひとりの時は勘弁してくれ。
マージは不承不承、わたしの言葉に従った−−と思ったら、すぐに別荘に向かって歩きはじめた。雷の影響もあるのかもしれない。別荘地はマージにとって、雷が鳴る怖いところになりつつあるのだ。
「参ったな・・・」
首を振りながら、わたしはマージの意志を尊重することに決めた。
* * *
煮込んだケーナインヘルスと馬肉を混ぜ合わせて犬たちのご飯の用意を終え、煙草を吸っていると清水さんがやって来た。
そのまま車に乗り、昨日の土地を見に行く−−と思ったら、見慣れた車が駐車場に入ってきた。わたしのマゼラティだ。車検を終えて戻ってきたのを、友人がわざわざ運んできてくれたのだ。雨ざらしの駐車場なので、急いでカバーかなにかを買ってこなければならない。
友人を労うのもそこそこに、わたしと清水さんは現地に向かった。
「まあ、いい土地だと思います」わたしが手渡した地図を見ながら、清水さんはいう。「ただね、×××の××や×××の××がすぐ近くに住んでるんですよ。近くを歩いていて因縁をつけられるということはないと思いますけど、どう受け止めるかですねえ」
なるほど、軽井沢とて約束の地ではない。
現地に到着して、土地の上を歩く。耳を澄ませるが、バイパスからの騒音はそれほど気にはならない。近隣にだれが住んでいようが、わたしは気にならない。
「まあ、この辺りではごく普通の土地です。気にいったんなら、買っても損はないと思いますよ」
他社の物件なのに、清水さんは屈託がない。しかし、そこはそれ、彼だってベテランの不動産屋だ。
「この近くに、うちの物件もあるんで、見に行きませんか?」
もちろん、わたしはうなずいた。近隣の有名人たちの別荘をガイドしてもらいながら、アロー建設が開発した分譲地へ向かう。南原というところなのだが、軽井沢には珍しい松並木が続いている細い道を進むと、やがて分譲地が見えてきた。丁寧に造成され、柴を植えられ、おまけに人造の沢が分譲地をぐるりと取り囲んでいる。雰囲気は旧軽の雲場池の周辺に勝るとも劣らない。その分譲地を見た瞬間、わたしは心を奪われていた。
連れあいもここの雰囲気は歓迎するだろう。犬たちも喜ぶに違いない。ネックは、町中から遠いことか。軽井沢は小さな町なので車があれば距離など気にならないのだが、免許を持っていない連れあいには、少し辛いかもしれない。
分譲地は7つに区画されていて、そのうち二つはすでに売れている。わたしの希望と合致する区画は三つ。300坪の区画が二つ。370坪の区画がひとつ。どれも、値段は3800万前後だ。土地の状況を説明する清水さんの言葉は立て板に水。さすがはプロだが、こちらはアマチュアとして、慎重に耳を傾けなければならない。しかし、目の前の景観はわたしから理性を奪おうとする。
「もう一件、行きましょう。次のは旧軽の北の方になります」
腕を組んで立ち尽くすわたしの耳に、清水さんが囁く。
続いて向かったのは離山の裏、少々山道を登ったところにある傾斜地だった。坪数は700。値段はお手頃。傾斜地とはいえ700坪もあればいろんなことができる。ここもネックは町中から遠いこと。車なら5、6分だが、徒歩や自転車でとなると、さっきの土地よりさらに辛い。目の前を走る町道は狭く、細く、犬たちを散歩させるには不向きだが、スポーツパークに行けばいいのだし、敷地に囲いを作って、そこをドッグランにしてもいい。
しかし、いざ土地を見て回りはじめると、自分の考えがどんどん揺らいでいくのがわかる。どの土地も一長一短だ。完璧なものはない代わり、それぞれに訴えるものを持っている。
最後に、さらに山の上の分譲地を見て回り、別荘に戻った。
腹をすかせている犬たちに慌ててご飯を与え、物思いに耽る。わたしひとりで決断するのは無理だ。ここに長く住んでいる人たちの意見を聞く必要がある。
清水さんとしばし歓談して、今日のうちに東京に戻るという友人と「ごはんや」で晩飯を食い、駅まで送り届けてやっと犬たちとわたしだけの空間と時間が戻ってきた。
東京の連れあいに電話をかけたが留守だった。どこかに食事に行っているのだろう。
いろんなことを考えながらソファで横になっていると、いつしか眠り込んでいた。
* * *
9時過ぎに、ワルテルに腰をつつかれて目覚めた。はいはい、散歩の時間だな。ぼんやりとした頭をはっきりさせようと冷たい水で顔を洗い、犬たちと外に出る。マージは相変わらず、なにかを警戒するような素振りでおそるおそる歩いている。雷はならないよといっても、彼女の耳には入らない。いずれ、自分で納得するか。それとも、納得する前にまた雷が轟くか−−後者だろう。
20分ほど歩いて、マージを先に別荘に戻し、その後、ワルテルとしばし遊ぶ。
シャワーを浴び、犬たちに水とおやつを与え、わたしはワインの栓を抜いた。葉巻をふかしながら、今、どれだけ考えたって結論など出やしないのだと自分を納得させる。開け放った窓から冷たい風が吹いてきて、わたしはワインと葉巻と風の香りの3重奏に陶酔した。
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