 |
| - |
8月2日 軽井沢 19日目
いつものように目覚ましで起きる。7時半に起きる生活に、どうやら身体も慣れたようだ。飲み過ぎさえしなければ、起きることができる。
車が水を跳ね上げながら走る音が聞こえた。カーテンを開けると、地面がうっすらと濡れている。明け方に一雨来たのだろう。出すものを出してから、犬たちと散歩に出かける。マージはすみやかに小用を足し、わたしとワルテルを追い抜く勢いで駐車場に向かっていく。今日もスポーツパークだ。たまには違うところに連れていってやりたいのだが、毎日午前10時にマージを病院に連れていかなければならないので、そんなに遠出はできない。
しかし、犬たちにはスポーツパークは今だ充分に楽しい遊び場だ。マージは嬉々として草を食み、ワルテルは昨日のボールを見つけて、遊んでくれとわたしを急きたてる。雲の合間から日が射せば、背中がぐっと熱くなる。だが、雲がお日様を隠してくれさえすれば、どこまでも快適な朝だ。朝露で濡れた草にさえ頬ずりしたくなる。犬たちもクールコートを着せているので、それほど日光を苦にしていない。
しかし、ボールを追いかけて馬鹿みたいに走り回っていたワルテルが、車の方に向かったまま戻ってこない。呼んでも、脅しても、すかしても、車のそばに張りついたままこっちを見ている。
「マージの真似をしてるつもりか、ワルテル?」
辛抱強く呼び続けると、やっとワルテルは戻ってきた。わたしの機嫌が悪いこと、自分のせいでわたしが怒っていることを察している。だったら、素直にいうことを聞けばいいのだ。
「そんなに車に乗りたいのか、ワルテル?」
ワルテルはうなだれている。わたしはワルテルをリードに繋いだ。
「だったら、車に乗せてやるよ」
ワルテルを車まで連れていき、乗せた。ドアを閉め、ワルテルに背を向ける。
「おれたちはもう少し遊ぼうか、マージ?」
マージはちらりとワルテルを振り返ったが、尻尾を振りながらわたしの後をついてきた。ワルテルはリアウィンドウ越しにじっと我々を見つめている。寂しげで不安そうな顔だ。外に出してやりたいという気持ちをぐっと堪えて、わざと楽しげな声を出してマージと遊んだ。10分ほどそうしてから車に戻ると、ワルテルはぼくも外に出たいと尻尾を振った。
「だめだ。もう帰るぞ」
ワルテルは悲しそうな顔をした。辛いか、ワルテル? 悲しいか、ワルテル? だけどな、マージがおまえと同じ年の頃、おまえと同じようなことをしたらもっとこっぴどく叱られたんだぞ。おまえは幸せな犬だ。マージのおかげで、わたしも犬の飼い主として成長している。おまえはその恩恵に与ってるんだ。感謝しろ。
犬にそんなことはわからない。だが、わたしの気持ちを察する能力はある。ワルテルはわたしが抱いて車に乗せたマージの匂いをしきりに嗅いでいた。
 |
| 来たわよぉ、遊ぶわよぉ。 |
 |
 |
| ちょっとお休み・・・ |
 |
 |
| 朝露に濡れた草の上を歩き回って、脚はごらんの通り。 |
* * *
スープに十三穀米入りご飯、メカジキ、ヨーグルト、フリーズドライの納豆、各種サプリ。犬たちは衰えることのない旺盛な食欲を見せて、朝ご飯を食らっている。食らうという表現がこれほど当てはまる食事光景もなかなかない。
わたしはシリアルを食べ、ソファに横になった。腰痛はぴったりとわたしの右腰に張りついたまま居座っている。連れあいがこちらに来たら、犬たちの世話を任せて、マッサージか整体に行きたいところだ。だが、木曜にはまた編集者が遊びに来て、週末はわたしの友人たちが遊びに来る。マッサージは当分先だ。それまで、腰が持ってくれるといいのだが。
今日は別荘に掃除が入った。はじめの内は勇ましく吠えていたワルテルだが、掃除機がうなりはじめると尻尾を垂れさせて、わたしの足元に張りついて動かなくなった。マージは平然としている。
掃除のおばさんがゲストルームのベッドが濡れているといってきた。一番奥のシングルベッド、頭の辺りにたしかにしっとりと濡れた感じがある。布団をめくると、シーツに黄色っぽい染みが・・・シーツをめくると、またしてもベッドパッドに黄色っぽい染みが・・・パッドをめくってみると、マットレスにこれまた黄色っぽい染みが・・・
「ワルテル?」
ワルテルは知らんぷりをしている。しょっちゅうゲストルームに出入りしているが、しかし、初日を除いて、いつだってトイレシートの上か外でおしっこはしているはずだ。しかし、この黄色っぽい染みはどう見ても・・・。
「ワルテル?」
ワルテルは部屋の隅で尻尾を振っている。真偽を確かめる術はない。
「すみません、多分こいつです」
わたしは掃除のおばさんに深々と頭を下げた。
 |
| 掃除機怖いよー。 |
* * *
ツルヤの冷凍カレーを温めて昼食を取り、一心不乱に仕事をする。いつものように4時に仕事を切り上げ、犬たちと外に出た。マージが、すぐにおしっこを済ませると、また駐車場の方に歩いていく。
「マージ、どこにもいかないぞ」
声をかけても知らん顔だ。マージはわたしの車のそばに張りついて動かなくなった。なだめても、すかしても、叱っても、「わたしここから一歩も動かないから」という表情を浮かべてわたしを見つめている。
こんなことをゆるしてはいけないのだ。だが、わたしは負けることを自分にゆるした。
「わかったよ、マージ。またスポーツパークに行って来るか。でも、暑いからちょっとだけだぞ」
わたしの言葉は理解できなくても、わたしの心が緩んでいくのは、マージははっきりと認識する。マージは尻尾を振り、嬉しそうに表情を崩した。マージの変かを見て、ワルテルもなにかを察したのだろう、リードを思いきり引っ張って飛び跳ねた。
二匹を車に乗せ、スポーツパークに向かう。シーズン中とはいえ平日だからだろう、人っ子ひとりいない。グラウンドでワルテルのリードも放し、好きに遊ばせる。多少雲があるが、空はまだ透き通るように青く太陽はぎらぎらと輝いている。15分もしない内にマージはばてた。駆け回っていたワルテルも滝のような涎を流している。
「満足したか?」
わたしはマージに訊いた。マージは黙って車のある方に歩いていった。
 |
| 早く車に乗せてよ。わたし、どこにも行かないわよ。 |
* * *
ケーナインヘルスとラムの心臓の晩ご飯を犬たちに与え、わたしは自転車で町に出た。例のKさんが駅前に「和助」という親子丼の旨い店があるといっていたのだ。そこを探しに行く。軽井沢駅前をしばしうろついて、洋食で有名な「サンジェルマン」の裏手に「和助」を見つけた。居酒屋ふうの店構えだが、暖簾に「ごはん処」と書かれている。早速、親子丼を頼んだ。10分ほど待たされて出てきたのは、卵とじの上にさらに蒸した卵が乗った、見るからに旨そうな丼だった。出汁の香りもいい。
熱々の親子丼をエアコンもなにもない店内で汗をかきながらかき込む。日本に生まれて良かったと思える、数少ない一瞬だ。あっという間に食い尽くし、満足の吐息を漏らす。
ご馳走様でした。別荘からも近いし、これからもちょくちょく利用させてもらおう。
別荘に戻る途中で書店に寄り、建築関係、インテリア関係の雑誌を大量に買い込む。寂しかったと訴える犬たちをなだめてソファに座り、脇目もふらず、雑誌に目を通した。あれもいい、これもいい、それもいい。中途半端な知識が増えれば増えるほど、悩みはましていく。
家を建てるというのは重労働なのだな。大工でなくても。
気がつくと、開け放った窓の向こうから雨が木の葉を打つ音が聞こえてきた。かなり強い雨音だ。しばらく待ってみたが、やむ様子はない。テレビをつけると、長野県北部に大雨警報が出ていた。
諦めて犬たちを外に連れだす。なるべく木がよく繁っているところを歩いたが、わたしも犬たちも徐々に濡れていく。
タクシーが敷地の中に入ってきて、妙齢のご婦人たちが降りてきた。ワルテルが唸り、吠える。わたしはご婦人方に謝りながらワルテルを遠ざける。
ここに来て、ワルテルの牡の本能はますます強くなっている。去勢について、本気で考えなければならない。次に連れあいが来た時に、真剣に話し合おう。
10分ほどでわたしが音をあげ、別荘に駆け戻った。ワルテルがそれほど不満そうではないのは、夕方もグラウンドで駆け回ったからだろう。
犬たちの身体を拭き、グルコサミン入りのジャーキーをおやつに与えてから、わたしはまた資料に目を通しはじめた。
一番の問題は床材なのだ。犬たちが滑らず、掃除がしやすく、なおかつ連れあいとわたしの美意識を満足させてくれる床材。それを見つけなければなにもはじまらないということに、わたしは気づきはじめていた。
12時過ぎに連れあいから電話があり、わたしは眼精疲労と脳の疲れから解放された。今後の連れあいのスケジュールを確認する。こちらには金曜に来て、一週間ほど滞在するという。
電話を切って、わたしは犬たちにおやすみといった。
 |
| いただきまーす! |
|←| top |→|
|
|
|
|