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9月7日 東京 55日目
7時に起きる。寝る時はベッドのそばにいたマージは、いつものように居間に移動してひとりで寝ていた。
「マージ、おはよう。すぐに散歩に行くからな」
声をかけたが、マージは床に寝そべったまま、面倒くさそうに尻尾をふるだけだった。すでに興奮して落ち着きを失っているワルテルとは好対照だ。
「マージ、どうせこの辺を歩き回るだけだと思ってるんだろう? 今日はちゃんと7時に起きたから、別のところに行くぞ」
おざなりに尻尾を振るマージに語りかけながらカーテンを開けた。空にはまだ雲が残っていた。風も強い。だが、雨の心配はなさそうだった。
準備を整えてから、犬たちを車に乗せた。マージがひんひんと笛を吹きはじめる。病院に連れていかれると思っているのだ。軽井沢では嬉々として車に乗りこむくせに、現金な犬だ。
「今日は病院じゃないぞ、マージ。代々木公園に行くんだからな」
代々木公園という言葉にマージが反応した。好きな人、好きな食べ物、好きなこと−−それらにまつわる単語をマージはきちんと聞き分ける。笛を吹くのをやめ、マージは興奮に息を荒げた。代々木公園の駐車場に乗り入れると、マージの興奮は頂点に達した。ワルテルもそれに引きずられて荷室でうろうろと動き回っている。
「さあ、マージ。軽井沢じゃないけど、ここも好きだろう?」
ワルテルより先に降ろすと、マージは小僧のことなんか待っていられないというように、ひとりで芝の生えた丘を登りはじめた。わたしとワルテルはその後を追う。
早朝の代々木公園にはたくさんの犬たちが遊びに来ていた。マージは我が道を行くだが、ワルテルは他の犬の匂いと姿に我を忘れた。マージの靴をはき直させるためにわたしはしゃがんでいたのだが、いきなりワルテルに引っ張られて、見事真後ろに転んでしまった。
「なにするんだよ、ワルテル?」
立ち上がりながらワルテルを叱る。しかし、ワルテルはどこからやって来たのか、自分の十分の一ぐらいの体格しかないヨーキーと遊ぼうとしていた。
「無理だよ、ワルテル。踏んづけちゃうだろう。それに、おまえ、リードを放したらどこかにすっ飛んでくだろう?」
リードを引いてワルテルを制御しながらわたしはヨーキーの飼い主を捜した。野球帽に短パン姿の中年男性が慌ててこちらに駆けてくるのが視野に入った。
「すみません」
飼い主はヨーキーのリードを持ち直し、何度も頭を下げながら遠ざかっていく。去っていくヨーキーを、ワルテルは名残惜しそうに見つめていた。
公園の中央部にあるだだっ広い野っぱらをゆっくりてくてく歩いた。マージはすっかり機嫌が直ったようで、わたしとワルテルの後をてくてくとついてくる。ワルテルは他の犬たちのことが気になってしかたがないのだが、わたしに「ヒール」を命じられていてるので渋々、時に命令を忘れたふりをして歩く。
時間が経つにつれ、気温もじんわりとしかし確実にあがっていく。マージの口の周りに唾の泡が溜まってきたのを見つけて、散歩を切り上げることにした。
「マージ、少しは満足したか?」
頭を撫でてやると、マージは盛大に尻尾を振った。朝のおざなりなそれとは明らかに歓び方が違っている。
「よかったな、マージ。明日の朝は病院だけど、夜はまた軽井沢に戻るからな。拗ねないで、ご飯もちゃんと食べるんだぞ」
マンションに戻り、ご飯の支度をする。マージもワルテルも同じもの−−ドッグフードに野菜ジュース、ケルプという海藻の粉末、ヨーグルト、各種サプリ。五分も経たないうちに、ふたつの食器が洗った後のようにぴかぴかになった。
わたしはソファに横になり、軽い仮眠を取った。午後には新刊のためのインタビューを3つこなさなければならない。質問に答えていればいいだけなのだが、これが精神的にくたびれる。少しでも体力を温存しておきたかった。
11時に目覚め、連れあいと近所のラーメン屋に向かった。冷やしラーメンを食べ、味付け玉子に舌鼓を打つ。急いでマンションに戻ってシャワーを浴び、支度をする。髪の毛がうまくまとまらない。根元から伸びた黒い毛が3センチに達しようかとしていた。もう、まるまる2ヶ月以上髪を切っていないのだ。このまま髪の毛を伸ばして、思い切って染めるのをやめてみようか。
少々遅刻して、インタビューのための部屋を取ってある西新宿のホテルに向かう。アサヒ芸能、ダ・ヴィンチ、WEB本の雑誌の三つのインタビューをこなす。
インタビューが終わった後は、場所をセンチュリーハイアットの中華レストランに移して、徳間書店のK女史、T氏、K氏、それに連れあいを交えての晩飯。連れあいから、マージが夕方の散歩の時にオシッコをしなかったと聞かされて少々不安になる。代々木公園から帰ってきた後に、マージにしては多めの水を飲んでいるのだ。オシッコがしたくないはずはない。
「風が強くて、それが気になってオシッコ出ないみたい」
連れあいの言葉がどんよりと重く肩にのしかかる。できればすぐにでも帰りたかったが、オシッコをしない以外に異常はないようだし、せっかく宴を催してくれている3氏の手前、それも躊躇われる。
料理は出てきた順に、冷菜の3種盛り合わせ、車エビのマヨネーズ炒め、焼きワンタン、中華風角煮の揚げ物、アワビとブロッコリの煮物、麻婆豆腐、酢豚、鶏の唐揚げ特製ソース。ここのところ食べた中華の中では出色の味(日本人向けに濃い味付けになっているが)。中でも驚いたのは車エビ、焼きワンタン、そして酢豚。少々お高いが、リピーターになってしまいそうだ。
腹がくちくなると、マージのことが心配でしょうがなくなった。楽しそうに話をしている4人に断って、宴をお開きにしてもらう。センチュリーハイアットから我が家まではタクシーなら3分の距離だ。運転手に申し訳なく思いながら急いで帰る。
オシッコを漏らしているのではと不安に思っていたのだが、その様子はなかった。マージもワルテルもまるで一ヶ月も放置されていたというように大喜びで我々を出迎えた。そのまま、マージをベランダに出す。相変わらず風は強かった。マージはベランダをうろつき、あちこちの匂いを嗅ぐが、強風が吹くたびに凍りつき、身をすくませる。
なるほど。これではどれだけ連れあいが促した所でしないはずだ。
まだ夜の散歩の時間には早かったが、これ以上我慢させるのも不安だったのでマージとふたりで外に出た。当然、自分も一緒に行けるものと思っていたワルテルが憤慨し、閉じられたドアの向こうで暴れていた。
マンションの敷地の外に出ると、マージはすぐさまウンチの態勢に入った。固くて太いものを3つほど、アスファルトの上に転がす。そのまま、今度は歩道の植え込みの土の部分に移動してオシッコをする。大量のオシッコだった。
「マージ、馬鹿だな。そんなに我慢しなくてもいいのに。風、そんなに怖かったか?」
わたしとマージはそのまま、マンションの周辺を歩き回った。7月に一時帰宅したときは、東京では一歩も歩きたくないというかたくなな態度を滲ませていたが、案外涼しいからか、それとも朝代々木公園に連れていったおかげか、マージは足を止めることもなく歩き続けてくれた。よかった。
マージを部屋に戻し、次はワルテルと散歩だ。ひとり取り残されたことはすぐに忘れて、ワルテルは思いきり散歩を謳歌する。マージがいないときは、わたしを独占することもできる。二重の喜びに沸き立って、ワルテルの足取りはいつもの33倍も軽かった。
「ワルテル、軽井沢と東京、どっちが好きだ?」
マージと違い、若くて元気いっぱいのワルテルは、どっちも好きだよと跳ねながら答えた。
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| 朝の代々木公園で、マージの機嫌が直った。 |
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| いい感じだな、おまえら。
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| 留守番のためにハウス(ケージ)に入れられたワルテル。
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| ちぇっ、なんでいつもぼくだけなんだよ・・・
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