W杯特別寄稿

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「終った」

 ワールドカップが終わってしまった。この一ヶ月でわたしは3キロ痩せた。フランス大会の時は6キロ痩せた。この3キロの差は、移動に追われていると、ヨーロッパではサンドイッチぐらいしか食うものがなく、日本や韓国では短時間にぺろりと食べられるもの(例えば吉牛とか、立ち食いそばとか駅弁とか)が多いということに尽きる。
 いずれにせよ、疲れた。
 疲れは肉体的なものだけではない。肉体的な疲れなど、手に汗握る好ゲームに出くわせば吹き飛んでしまう。今大会では、わたしは都合16試合を生観戦したのだが(1試合はどうしても仕事と折り合いがつかず、泣く泣くキャンセルした)、そうした「大当たり」の好ゲームには出あえなかった。準決勝のブラジル対トルコもいい試合だった。決勝のドイツ対ブラジルもワールドカップの決勝では稀に見る好ゲームだった。それでも、わたしの心は踊らないのだ。
 理由はわかっている。この数年、わたしは呆れるほどヨーロッパを訪れた。後先のことを考えずスケジュールを開け、自分の金を費やし、ヨーロッパで嫌になるぐらいサッカーを見た。とりわけ、チャンピオンズリーグを生で見た。これがいけない。チャンピオンズリーグでとんでもない試合を見た後では、ことサッカーの質に関するかぎり、ワールドカップの試合では満足できなくなる。
 しかし、だからといってワールドカップはダメだというわけではない。サッカーの質はチャンピオンズリーグには劣っても、ワールドカップには選手個々人やそれぞれの民族の誇りが激突するという醍醐味がある。半世紀以上に渡って続いてきた世界最大のお祭りがもたらす高揚感がある。
 だからわたしは、「代表クラスのいい試合を見たかったら本大会より予選だよな」と憎まれ口を叩きながら、ワールドカップに身を投げだす。そして、ぐったりと疲れる。
 ドイツ対アイルランド、イングランド対アルゼンチン、スペイン対アイルランド、イタリア対韓国−−すべて素晴らしい試合だったが、生では観戦できなかった。
「馳さん、今回は外れくじばかりですもんね」
 決勝戦の当日、金子達仁にそういわれた。まあ、そのとおりだ。日本対ベルギー、ロシアがなければ、わたしの今回のワールドカップは大外れだった(チュニジア戦はチュニジアが攻めてこないことに失望し、トルコ戦はアレックスと西澤の名前がスタメンにあることを知った瞬間から冷めてしまった)。
 予選グループの試合であれだけ壊れたのなら、決勝トーナメントではどうなるのだろうと思う。ベスト16で勝ったら、痺れるだろう。ベスト8で勝ったら失神してしまうかもしれない。韓国はそれを体験した。わたしには、とても羨ましい。ホームの利があったとしたって、ベスト4、3位決定戦など、そう簡単に進めるものではない。
 チャンピオンズリーグの物凄い試合以外で、わたしが本当に我を忘れることができるのは、もはや日本代表の試合しかない。そう気づかされたワールドカップでもある。
 だから、日本代表には強くなってほしい。もっともっと、強くなれ。我々はすでに、予選グループを勝ちあがる歓びを知ってしまった。次はさらなる上を−−そう願うのが人間だ。
 ドイツの大会で、日本が本戦に進めるかどうかはわからない。日本サッカー協会が監督をだれに選ぶかで変わってくるだろう。もしかすると、日本がワールドカップでベスト16に進むことなど、わたしが死ぬまでにはもうあり得ないのではないかと考えることすらある。
 日本サッカー協会に馬鹿な真似をさせないための一番の方法は、サポーターが声を大にして協会に圧力をかけることだ。サポーターがもっともっとサッカーの本質を知ることだ。
 このワールドカップでサッカーの魅力に気づいたという日本人も大勢いるだろう。そういう人たちにはこう願う。
 日本代表の試合だけでなく。Jリーグを、世界のサッカーをもっともっと見てください。元サッカー選手だったというだけで、海外にろくに試合を見に行きもしない解説者なんかより、サッカーをやったことがなくても、たくさんサッカーを見た人間の方が、本質に触れられるものだから。
 ヨーロッパに直接行けなくても、今はスカパーがある。スカパーに加入した人間も多いだろう。セリエA、エスパニョーラ、プレミア−−各国のリーグを見比べるだけでも、サッカーに対する考え方が深くなる。
 もう一度。
 みんな、もっとたくさんサッカーを見ようぜ。選手のスキルがアップするだけではワールドカップでは勝ちあがれない。日本のサッカーを取り巻く環境全体が底上げしなければ、日本のサッカーは本当には強くならない。
 ああ、それにしても疲れた。ゆっくり休みたいが、この一ヶ月はそれこそまったくの無収入だった。テレビの出演料なんかが振りこまれるのはまだ先だもんなあ。金を稼ぐために働かねば。いやだいやだ。

(2002年7月1日掲載)

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