Hase's Note...


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「葉巻」

 葉巻を吸う人間を、どこかで小馬鹿にしていた。十代のころのわたしが、全日本プロレスではなく、新日本に肩入れしていたのは、もしかするとジャイアント馬場さんが葉巻の愛好者だったからかもしれない。そのわたしが葉巻を吸うようになるのだから、人の持つ考えなどはあてにならない。
 きっかけは、LAだ。あの、くそったれの国のくそったれな都市だ。月刊プレイボーイで書く紀行文の取材のためだ。行ったことがないにもかかわらず、わたしの内部には、アメリカ合衆国に対する偏見が渦巻いていた。アメリカ合衆国的なありとあらゆるものに対する憎悪が根を生やしていた。
 それでもアメリカ行きに同意したのは、企画を立てた編集者、TKが旧知の友人だったことと、企画の趣旨−−ジェイムズ・エルロイの足跡を辿る、というものに、気を引かれたからだった。
 アメリカは想像していたとおり、酷い国だった。LAはわたしの想像が足下にも及ばないほど酷い都市だった。日がな一日、車であちこちに移動して写真を撮られる。途中でランチのために立ち寄る食道で出されるものはどれも反吐が出るほどにまずく、コーヒーは薄く、煙草は吸えない。
 わたしの苛立ちは、初日にしてすでに頂点に達しつつあった。インテリアは小洒落ているが、料理の味は可もなく不可もないレストランで晩飯を食い終えた時には、わたしはLAにすっかりうんざりしていた。
「この後、どこかに飲みに行きますか?」TKがいう。
「いやだ。部屋に戻る。ルームサービスで酒頼んで、煙草吸いまくりながら飲んだ方がよっぽどましだ」
 それで、我々はホテルに戻った。ホテルにはスーヴニールショップがあった。我々はそこでポテトチップスのようなつまみをいくつか買った。ショップには葉巻があった。TKがその葉巻に手を伸ばす。
「葉巻吸ってもいい? おれ、煙草は吸わないけど、最近、葉巻はじめたんだよ」
「おれも吸ってみる。思いきり煙をふかしてえ」
 今から考えればその葉巻がうまかったはずがない。葉巻はデリケートな代物だ。空気が乾燥したカリフォルニアで剥きだしのまま売られている葉巻は、たぶん、馬糞の味がする。
 だが、ニコチンと煙に飢えていたわたしには、その葉巻はとてつもなく美味に感じられた。煙草の十倍はうまかった。
 LAでの一週間、わたしは夜ごと、ホテルの部屋で葉巻を吸い続けた。
 日本に帰国して、ある作家の集まりで北○謙○大先輩を捕まえた。○方○三先輩は、葉巻愛好家として知られている。
「北○さん、おれ、葉巻はじめようかと思うんだけどさ−−」
「なんだ、馳までおれの真似するつもりか?」
 だれもおっさんの真似したいわけじゃねえよ−−喉元まで出かかった言葉を飲みこむ。わたしはこれでも、体育会系の人間の機微はよく知っている。馳まで、というのは、船戸与一さんが、すでに葉巻をはじめていたことから来ているのだ。
「おれ、葉巻のこと全然知らないから、○方さん、教えてよ。可愛い後輩に。葉巻買う前に、なにを用意したらいいわけ?」
「まずな、ヒュミドールっていう保管用の箱を買え。葉巻は湿度に敏感だからな。ヒュミドールはピンからキリまであるけど、いいやつを買った方がいいぞ」
「他には」
「あとはシガーカッターだな。葉巻自体は、自分の好きなやつを吸ってりゃいいけど、いいシガーカッターを持ってた方がいい。おれなんか、五〇個以上持ってるからな」
「じゃあ、一個くださいよ」
「いやだ」
 北○謙○先輩は実にクールだ。
 その後すぐ、わたしは香港に飛んだ。香港で、数年前から葉巻がブームになっていることを知っていたからだった。宿泊したホテルには、世界的に有名な葉巻ブランド「ダビドフ」のブティックがあった。そこの白人の店員に、わたしはいった。
「わたしは葉巻の初心者なのだが、どうか、教えを乞いたい」
 わたしの英語の実力などその程度のものだ。
 店員は○方○三先輩とは違って、懇切丁寧に葉巻のいろはをわたしに教えてくれた。わたしはそこで、シガーカッターと携帯用のシガーケースを買った。ヒュミドールは旅先で買うには大きすぎた。それに、その店員がこれさえあれば一生買い替える必要がないと推薦するダビドフ製のヒュミドール(店員はスペイン語ふうに「ユミドール」と発音した)は、日本円で百万円近くするものだった。六〇万円の金のネックレスは買えても、百万のヒュミドールを買う勇気はなかった。多分、葉巻を吸うなんてスノッブだという思いがどこかにあったのだろう。わたしはいつだって愚かな一面をひきずって生きている。
 帰国し、インターネットで葉巻関連のサイトを検索した。六本木と銀座にあるシガーバーのことを知り、そこに出かけた。ダンヒルの五〇本入りのヒュミドールを買った。
 以来、毎日葉巻をくゆらす日々を送っている。葉巻にどっぷり取り込まれている。
 シガーカッターは四つしか持っていない。ダビドフ製パンチ式のカッターを手に入れたのだが、そらがあまりにも気に入って他の物を買う必要性を感じないからだ。
 ヒュミドールは、五〇本入りのものでは間に合わなくなり、香港のダビドフの店員が推薦してくれた百本入りのヒュミドールを、結局は買ってしまった。最近は、それでも足りないなと感じはじめている。ケースごと葉巻を買うと、百五十本の収容能力など、あっという間に埋まってしまう。
 加湿器に精製水を足していると「本当に葉巻に関してはまめね」と連れあいに皮肉をいわれる。
 作家の集まりの後、酒場で葉巻を吸っていると、北○謙○先輩に、「馳は葉巻の持ち方がだらしない。吸いかたも速すぎる」と叱られる。
 うるさいなぁ、吸いたいように吸わせろよ−−そう思いつつ、わたしははいはいとうなずく。体育会系の人間は扱いがとても楽だ。
 歯ぎしりをしながら小説を書き続け、身も心もくたくたになった後で、酒を飲みつつくゆらす葉巻は最高に美味しい。身体を壊さない限り、やめられそうにない。
 以下は、わたしの常備葉巻。
*VEGAS ROBAINA FAMOS
*PARTAGAS 8-9-8 VARNISHED
*ROMEO Y JULIETA CHURCHILL
 その他にも、シガーバーに立ち寄るたびに、なにがしかの葉巻をバラで買い求める。一本一本ごとに違う味わいがあるでの、どれが好きとはいえない。世界的にうまいといわれている葉巻でも、わたしにはぴんとこないものもある。安い機械巻きの葉巻なのに、驚くほど深い味わいを感じることもある。ワインと同じだ。
 先日、赤坂にあるレストランバーで吸わせてもらった「LA GLORIA CUBANA」のロンズデールの葉巻があまりに美味で、旧正月のために里帰りするという香港人に買ってくるように頼んでしまった。
 日本で買う葉巻は高い。わたしがケースで葉巻を買うのは、ほとんど香港でばかりだ。
 葉巻がもっと安く手に入れば、煙草をきっぱりやめて葉巻一筋にするのだが。

(2001年01月29日掲載)

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