Hase's Note...


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「夢のハンバーグ」

 飛び石すぎてつまらんとかなんとか、くそみそにいわれていた今年のゴールデンウィークだが、わたしなんぞは毎年、ゴールデンウィークのことはくそみそにけなしている。連休とかいわれても休めないのだから、当然だべ。わたしはいつだってゴールデンウィークと夏休みと正月を憎んでいるのだ。
 今年もだから、働いていた。湿度の低い晴れが続いてドライブ日和だってのに、恨めしげに窓の外を見ながらしこしことパソコンのキーを叩きつづけていたわけだ。
 世間的にはイラク戦争問題はもう飽きられたようで、SARSと白装束集団とアザラシがテレビの画面をにぎわしておる。香港には友人が多いのでSARSは心配だが、白装束はどうでもよろしいし、アザラシにいたっては屁である。だいたい、都会の川に迷い込んできた時点で自然界の連鎖から外れておるべ。そのうち死ぬべよ。白装束はオウムと同じで、一般社会に居場所をみつけられなかった弱い人間を巧みに騙すカルトの一例で、スカラー波がどうとかこうとか、傍目から見れば愚かな行為でも、連中は真剣なんだからしょうがない。放っておいてやればいいのだが、まだオウムの記憶は生々しいしなあ。しかし、救世主を名乗る人間が「タマちゃんを助けてあげなさい」って、本当にわらかしてくれるぜ。
 そんなわけで、4月末から5月頭にかけてはすがすがしい天候とは無縁の、鬱陶しい日々を過ごしていたわけだが、ひとつだけ、素晴らしいことがあった。
 ある朝起きると、どうにもこうにもハンバーガーが食べたくなっていて、だからといってマクドナルドは食べたくない。どうしようかと考えたら、五反田にアメリカン・スタイルではあるが飛びきり美味しいハンバーガー屋があることを思い出して、車で五反田に向かったのだった。ところが運悪くその日は日曜で、おまけに店に着いたのが昼の12時15分、短いとはいえ店には行列ができていて、いくらハンバーガーが食いたくて五反田まで車を飛ばしてきたといっても、やはりたかがハンバーガーのために行列に並びたくはなく、しかしそれでも口の中はハンバーガーを求めて唾液に溢れており、どうしようかと迷ってハンバーガー屋の近くをぶらついていたら、とあるレストランの入口に置かれた「大田原牛ハンバーグ、200グラム、3千円」と書かれた黒板が視界に飛び込んできたのだった。
 大田原牛? 知らん。ハンバーグが3千円? ふざけとるのか。
 しかし、わたしの口はハンバーガーの口になっていたのだった。ハンバーガーもハンバーグも大して違いはないのだった。
 3千円のハンバーグ。食ってみるか。わたしがそう決断を下したのは、当然だ。でもって、わたしの決断は大当たりだった。
 大田原牛というのはなんでも日本ではその店でしか扱っていないそうで、とにもかくにも肉がうまく、脂もうまい。しかもその脂、気温29度で溶け出すので体内にとどまることなくすぐに排出される。これほど素晴らしい牛肉はないのよ−−という上品な女将さんのうんちくに耳を傾けながら、3千円也のハンバーグを一切れ口に放り込んで、わたしは絶句した。デミグラスソースだとか和風ソースだとかそんなものはなにひとつかかっていない。味付けは塩と胡椒のみ。そのハンバーグの肉のうまみが口の中に広がって、わたしは泣きたくなった。世の中にはまだこんなにうまい物があったのかと感激し、感動し、感服した。これなら3千円でもしかたがない。払います、払わせてくださいと頭を下げてでも食いたい。
 秀逸なのは肉だけではない。29度で溶け出すというその脂。ハンバーグを平らげたあとの皿にはその脂がこってりと残っているのだが、そこに白いご飯をよそって脂と混ぜ合わせるようにして食べるのだ。これがもうなんというか、どういうか、こういうか、ああいうか。うまい−−自分の小説家としての才能に絶望しつつ、わたしにはそうとしか書けない。香港でよくラードかけご飯というのを食べるしこれがまた美味なのだが、この大田原牛ハンバーグの残り脂混ぜご飯は形容する言葉が見つからないほど、うまい。ハンバーグでわたしは泣いたが、この脂混ぜご飯でわたしは号泣した。世の中にこんなにうまいものがあっていいのか。人目もはばからず号泣し、脂の一滴も残すまいと皿を舐めまわした。この文章を書きながら、わたしの舌があの味を懐かしがってひくひくしている。
 うまいものを食わせる店はそれなりに知っているのだが、当然そうした店はだれかに教えてもらったところが多い。が、この店はわたしが見つけたのだ。わたしが見つけ、3千円という値段のハンバーグに怯えながら決断し、巡り会ったのだった。それ故に感動は増幅しているかもしれないが、しかし、あのうまさは筆舌に尽くしがたい。ハンバーグがあまりにもうまくて、次は大田原牛のステーキに挑戦したくて、その3日後の夜にディナーを食いにまたその店を訪れたのだが、ステーキもまた死ぬほどうまかった(ちなみにその店の最高級ステーキは150グラム6万円也。わたしが食べたのは1万5千円コースの中の1メニューだったので、おそらく5、6千円のステーキ)。肉が柔らかいのは当たり前だ。肉がうまいのだ。肉にしっかりと味があるのだ。口の中に溢れる脂が美味なのだ。
 この店、最近はたまにテレビに出たりもするらしいのだが、基本的には取材拒否の店。ゆえに店名も明かせないが、うまい肉食いたい人間は五反田をうろつくがいい。ヒントはハンバーガー屋の近くだ。ハンバーガー屋はそれなりに有名なので知ってる人も多いだろう。夜は完全予約制。昼は平日は常連で混んでいてほぼ入れないが土日は意外にすいている。わたしがハンバーグを食えたのも、日曜日だったからだ。
 大田原牛の味を知った今、わたし、他の牛肉を食べたいとは思わない。今までは自分が作るハンバーグの味には自信があったが、もう、自分でハンバーグを作ろうとは思わない。
 大田原牛のハンバーグと脂混ぜご飯を食べていたあの数十分は、それはそれは至福のひとときだったのだ。大田原牛のおかげで、今年のゴールデンウィークは素敵な記憶となってわたしの頭に刻みつけられるだろう。
 本当にうまいんだぜ。

(2003年5月8日掲載)

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