軽井沢日記
-
8月8日 軽井沢 25日目

 7時に目覚めた。いつもは寝汗でパジャマが湿っているのだが、今日はそんなこともない。居間に出てカーテンを開けると、木漏れ日が降り注いでいるが、空気はほどよく冷え、さわやかだった。
「久しぶりに湯川ふるさと公園に行こうか」
 今日はいつもより30分早く起きたし、マージの通院も休みの日だ。ちょっと遠出してもなんの問題もない。
 ふるさと公園に犬はいなかったが、散歩を楽しむ老人たちが散見できた。いい散歩コースなのだろう。ワルテルのリードも外し、思いきり駆けさせる。
 気温がここ数日より低いせいか、マージの足取りも軽いようだった。わたしがワルテルとボール遊びをしながら走っていると、マージも笑いながら走ってくる。ワルテルのスピードに比べれば走っているともいえない速度だが、それでもマージは走っているのだ。マージの心が弾んでいるのを見て、わたしの心も弾んでいく。
「マージ、走るの久しぶりだな。楽しめ。でも、無理はするなよ」
 朝陽を浴びながら、マージはワルテルの後を追いかけている。しかし、それも5分程度だ。やがて、ばてたマージは脚をとめ、草を食むことに専念しはじめた。
 陽射しがきつくなってきたので30分ほどで散歩を切り上げ、帰途につく。窓を開けて車を走らせると爽やかな風が入ってきて鼻歌をうたいたくなるほどだ。
 昨日作っておいたスープを十三穀舞入りのご飯にかけ、馬肉の挽肉、ヨーグルト、大根おろし、すりゴマ、オリーブオイル、各種サプリを混ぜ込んで朝のご飯を与える。
 マージもワルテルも食欲の衰えるということがない。腹を下していても、暑さにばてていても、なにがなんでも食わなければならないといわんばかりにご飯に食らいつく。
 人間の朝飯はバゲットに生ハム、トマトとブロッコリ、フルーツジュース。
 扇風機を回さなくても済むのは何日ぶりだろうか。インターネットで取り寄せたハモン・イベリコもことの外旨く、わたしは満足してフォークとナイフを置いた。
 今日は仕事をしないと決めたので、メールをチェックし、日記を書いてパソコンを閉じる。うーん、清々しい。
 
久しぶりの湯川ふるさと公園。さあ、遊ぶわよ!
久しぶりの湯川ふるさと公園。さあ、遊ぶわよ!
-
こっちの葉っぱは不味いのか?
こっちの葉っぱは不味いのか?


* * *

 12時半に犬たちと連れあいを車に乗せて別荘地を出た。今日は午後2時に唯川大姐邸にお邪魔することになっている。その前に、友人経営のテラスカフェ「煙事」でランチを取ろうという腹づもりなのだ。イレギュラーの外出に犬たちも興奮している。
 入口の場所が変わっていて戸惑ったが、無事到着して犬たちをデッキテラスにあげる。燻製ベーコンのオープンサンドセットとアイスカプチーノを頼んだ。犬たちには特製のクッキーを二つずつ。木陰のデッキで涼しい風に吹かれながら食事とデザート、葉巻を満喫する。
 
「煙事」にて。デッキ全体が木陰になって涼しいことこの上なし。
「煙事」にて。デッキ全体が木陰になって涼しいことこの上なし。

 1時45分に「煙事」を出て、いざ、唯川邸へ。大きな水たまりがいくつもある細い私道をずんずんと進んでいくと、お洒落な家が見えてきた。駐車場に車を止めていると、唯川大姐と愛犬のルイが出迎えてくれた。
 でかい・・・体重70キロといえば、ワルテルのほぼ倍だ。
 犬たちが仲良くしてくれればいいのだがと思いながら部屋にあげてもらう。しかし、ルイは興奮して吠え続けた。
「あんたたち、なによ? ここはわたしの縄張りよ。ちょっと、わたしのパパとママにちょっかい出さないで!!」
 いやはや、吠えまくるセントバーナードというのはかくも凄まじいものか。腹に響く声が終わることなく続き、涎が辺りに飛び散る。吠え声が止むのはおやつをもらった時だけで、それだって固いおやつをバリバリと噛む音が吠え声に取って代わるだけだし、あっという間に食い終われば、またルイは吠えはじめるのだ。
 しかし、マージはルイの剣幕などどこ吹く風で床に寝そべり、ワルテルはルイを気にしつつも、ルイの玩具で勝手に遊びはじめている。
 ルイでなくても、こいつらの傍若無人ぶりには腹を立てるかもしれない。
 ルイの吠えたてる声をBGMにして、部屋を案内してもらい、軽井沢での暮らしについてレクチュアしてもらう。床はルイが滑らないように石を貼ってあるし、玄関の脇にはルイの洗い場がある。ルイが好き勝手に庭に出られるようになっている犬専用のドアもある。犬のために建てられた家なのだ。大いに参考になった。
 唯川邸には素敵なストーンデッキとそれに繋がる芝生の庭があるのだが、途中から雨がふったりやんだりして、外で犬たちと遊ぶにはあいにくの天気だった。
 ルイが遠くから吠えるだけなのに調子に乗ったワルテルが、及び腰ではあるがルイに近づいていった。わたしがやめろと声をかける前に、堪忍袋の緒を切らしたルイがワルテルに突進した。ワルテルは一旦腰を抜かし、それから、慌てて向きを変えて逃げ出していく。ルイの動きが遅くてワルテルは助かったが、家の中は大混乱だ。ルイを止めようとする唯川夫妻、ワルテルをとめようとする馳夫妻。その間隙をついて、ルイの食べこぼしたおやつを狙っているマージ。
 結局、唯川さんの旦那さんが、ルイを落ち着かせるために二階へ連れていって、とりあえず、騒動は落ち着いた。
 お互いの犬が仲良くしてくれればというわたしと唯川大姐の思惑は見事に外れた。まあ、仕方がない。犬の世界にだって馬が合う合わないはあるのだ。
 雨があがったあとで、ワルテルやマージと庭で遊んだりして、ふと気がつくとすでに午後4時を大きく回っていた。
 これ以上ルイを興奮させ続けるのも可哀想なので、辞去することに。
 ごめんな、ルイ。ありがとう&ご馳走様でした、唯川大姐。
 別荘に戻る途中、晩飯の食材を買うためにツルヤに寄った。ハイシーズンの夕方のツルヤに寄るのは初めてだったが、店内に足を踏み入れて、文字通り、わたしは絶句した。なんだ、この人の群れは!? 駐車場にとまっている車の数からある程度予想はしていたが、しかし、通路にひしめく人の群れは、休日の原宿、竹下通りのごときだった。
 いろいろ買い込もうと思っていたのだが、田舎育ちで群衆恐怖症の気味があるわたしは、這々の体でツルヤから逃げ出してしまった。

唯川さん、いい家に住んでるわねえ。わたし、気に入ったわ。
唯川さん、いい家に住んでるわねえ。わたし、気に入ったわ。
-
ぼくも気に入った。遊ぶところと遊ぶもの一杯ある!
ぼくも気に入った。遊ぶところと遊ぶもの一杯ある!
-
中に戻ったら、またルイに怒られるわよ。
中に戻ったら、またルイに怒られるわよ。


* * *

 いつものケーナインヘルスと馬肉の晩ご飯を犬たちに与え、人間の晩飯の支度に取りかかる。
 ツルヤで買ってきたアスパラを茹で、フランスベーカリーでいただいたトマトを切り、オレンジパプリカも切って、簡単なサラダを作る。その合間にパスタを茹で、弁護士夫妻が差し入れてくれたレトルトのパスタソースを温める。パスタの味付けぐらい自分でしたいのだが、狭い厨房ではそれもかなわない。一度に一品しか作れない構造になっているのだ。
 東京から持ってきた馬鹿うまパスタはソースがレトルトでもやはり馬鹿うまで、わたしと連れあいは夕食を大いに堪能した。
 

* * *

 夜、犬たちと外に出る。昼間、ずっと外出していたせいか、マージの足取りが少し重い。早めに散歩を切り上げて、マージの後始末を連れあいに託し、わたしは自転車に乗ってワルテルと一緒に別荘地を出る。
 はじめての自転車による誘導だが、ワルテルは戸惑うこともなくついてくる。近所のレンタルビデオ屋まで行き、「ボーン・スプレマシー」を借りて帰ってきた。
「ワルテル、自転車の散歩、大丈夫だな?」
 ワルテルは尻尾を振ってわたしに答える。これで、疲れている時は自転車で手抜きができるわけだ。マージも2、3歳の時は自転車で散歩に行ったものだ。それができなくなって、何年になるのだろう。
 犬たちにおやつを与え、人間たちは生ハムをつまみにワインを飲み、映画を観た。開け放った窓から冷たく澄んだ空気が流れ込んできて、冷やした白ワインと一緒に我々をなだめてくれる。
 気持ちのいい一日だった−−わたしが呟くと、連れあいがそうねと相槌を打った。


||   top   ||