軽井沢日記
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8月19日 軽井沢 36日目

 気温は低く、乾いた風が吹いていた。夏と秋のせめぎ合いは着実に確実に、秋が勝利を収めつつある。空は青々と晴れ渡って、日なたに出るとまだきつい日光が肌を焙っていく。
 ワルテルのウンチは相変わらず柔らかい固形状だ。思い切って、一日に食事を抜くか・・・あるいは葛湯でごまかすか。
 悩みながらスポーツパークへ。芝生が朝露でしっとりと濡れていたが、もちろん、マージもワルテルもそんなことを気にしたりはしない。ワルテルはボール遊びがしたくて、別荘を出た時からうずうずしている。朝一番のオシッコも我慢しているぐらいだった。
 すぐにリードを放し、ボールを投げてやる。
「フェッチ!!」
 黄色いボールが放物線を描きながら青い空を切り裂いていく。ワルテルは水飛沫を上げながらボールを追った。
「さ、おれたちはゆっくり歩こうな、マージ」
 マージの頭を一撫でし、歩きはじめる。陽射しの下はマージにはきついので木陰を選んで歩いた。
「ワルテル、グッドボーイ。ワルテル、ナイスドッグ」
 ワルテルがボールを転がすたびに、わたしの間抜けな声が聞こえてくる。どうやら、ボールにショックを与えるとわたしの声が聞こえてくるということに気づいたらしい。ワルテルは前脚を器用に使ってボールを蹴り、わたしの声を追いかけている。
「気持ちがいいな、マージ」
 少しだけ日なたに出て、マージのかたわらにしゃがんだ。マージと一緒に飽くことなくボールを追いかけているワルテルを目を細めて見た。陽射しは夏で空気は秋。やがて、この陽射しも秋のそれに変わっていくのだ。そうなったら、マージには本当に気持ちのいい朝だろう。
 陽を受けたマージの首筋の毛に鼻を埋め、匂いを嗅いだ。干し草のような匂いがした。
 いつものように20分ほどで散歩を切り上げる。別荘に戻り、スープ、十三穀米入りご飯、焼き鮭、大根おろし、赤キャベツの新芽のみじん切り、ごま油、すりゴマの朝ご飯を作る。
 わたしはまたシリアルだ。今夜から連れあいが来るから、この食生活も改善されるだろう。
 10時に別荘を出て、菊池動物病院へ。マージに注射を打ってもらい、ワルテルのお腹の具合が相変わらずだということを説明する。食事の内容を変えて、もうしばらく様子を見ることに。療法食というお腹の調子を改善するために作られたドッグフード(ウェット)をもらう。
 今日は部屋に掃除が入る日なので、別荘には戻らず、「煙事」に向かった。ウッドテラスでカポーティの「冷血」を読みながらアイスカプチーノを啜る。葉巻を用意していたのだが、持ってくるのを忘れてしまった。脳の衰えを嘆きながら、ビスケットをもらって喜び勇む犬たちを眺める。腹が減ってきたので、燻製生ハムのオープンサンドセットを注文し、それを胃に詰め込んでいると雨が降ってきた。オープンエアのウッドデッキなので、こうなると店員が大変だ。椅子を畳み、テーブルを運び、しかし、雨はそんな彼らを嘲笑うように小降りになる。このままあがるのかなと思って手を緩めると、今度は本気で雨足を強めてくる。
 雨に濡れながらの食事もいいと余裕を持っていたわたしも、この雨足には退散せざるをえなかった。もっとゆっくりして気持ちのいい風に吹かれていたかったのだが。
 別荘に戻る途中、ツルヤに寄ろうと思っていたのだが、バイパスは想像以上に混んでいた。裏道を使って国道18号に出、結局マツヤに立ち寄る。晩飯の食材を吟味して、大量に買い込む。今日は連れあいと友人が晩餐に加わる。久しぶりに人に食べさせるための料理を作るのだ。食材選びも楽しかった。
 綺麗に掃除された部屋で仕事をはじめる。いつの間にか雨は止んで、柔らかな陽射しが木々に降り注いでいた。
 
 
ぼくのあだ名は「グァポ(スペイン語でハンサム君)」。お姉さん(お母さんというと怒られるんだ)がそう呼ぶのさ。
ぼくのあだ名は「グァポ(スペイン語でハンサム君)」。
お姉さん(お母さんというと怒られるんだ)がそう呼ぶのさ。
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グァポはボール遊びも優雅なんだぜ。
グァポはボール遊びも優雅なんだぜ。
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ちぼくのチャームポイントはうなじまで伸びた白い毛なんだ。
ぼくのチャームポイントはうなじまで伸びた白い毛なんだ。
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わたしも美人よね!?
わたしも美人よね!?
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グァポも台無し・・・。
グァポも台無し・・・。


* * *

 4時過ぎにスポーツパークへ行き、20分ほど遊んでから帰ると、連れあいと友人がすでに到着していた。友人のことが大好きなワルテルが興奮して狭い部屋の中を駆け回る。連れあいはマージの様子を見てほっとしていた。
 そういえば、悪性リンパ腫と闘っているバーニーズのお母さんに「マージの具合が悪いのは好転反応じゃないですか」といわれたのだ。
 ホメオパシー治療というのは、簡単に言えば「毒をもって毒を制す」治療で、治療の過程で一時的に病状が悪化することがあるのだ。マージのそれが好転反応なら、治療が効いているということでもある。そうであってくれればいいのだが。
 ケーナインヘルスに馬肉(ワルテルには療法食)の食事を作り、続いて人間の食事の支度に取りかかる。
 オカヒジキのみそ汁。ネギトロと挽き割り納豆の和風カルパッチョ、各種野菜とタラバガニのサラダ。焼き餃子。そして、塩辛入りのキムチ。焼き物煮物が一品しか作れない状況ではベストのメニューではなかろうか。
 満腹し、お茶を飲みながら、連れあいが持ってきた「ホオジロザメ」のDVDを見る。南アフリカの沖合の島で、海面を跳躍しながらオットセイを狩るホオジロザメを扱ったドキュメンタリーだ。鮫の跳躍は美しく、そして恐ろしい。死んだ鯨に群がる彼らは、まるで巨大なピラニアのようだ。なぜ連れあいがこんなDVDを持ってきたのかと、最初は訝っていたのだが、これは一見の価値があった。
 DVDを見ている間、ワルテルは友人にまとわりついて離れなかった。わたしたちも好かれている本人にも理由はわからない。だが、ワルテルは彼が好きで好きでたまらないのだ。彼の足に身体を押しつけて、ハンドをしては遊んでくれ、撫でてくれと訴えかける。友人は可哀想だが、わたしは犬たちの愛情を一身に受ける身から解放されて、リラックスすることができた。
 ホオジロザメの後は、犬たちの一日最後の散歩だ。マージは相も変わらず、用を足すとすぐに別荘に戻りたがった。夜はもはや彼女には恐怖の対象でしかない。
 マージを連れあいに任せ、わたしはワルテルと自転車で出かける。ワルテルは夕方も夜もウンチをしなかった。お腹の調子は上向きなのだろうか? そうに違いない−−そう決めて、帰途につく。
 散歩の後は、さすがのワルテルもくたびれたようで即座に寝る態勢に入った。
 よく眠る犬たちの横で、我々人間はどうでもいい話をああでもないこうでもないと交わして、夜の時間を無意味に潰していった。  




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