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8月26日 軽井沢 43日目
雨はあがっていた。まだ空は分厚い雲に覆われていたが、雨の気配はほとんどない。
大急ぎで支度をして、犬たちと一緒にスポーツパークに向かった。駐車場に昨日の車が停まっていた。お母さんとお姉さんがキャプテンを連れて我々を待っている。
キャプテンの存在に気づいたワルテルが吠えはじめた。相手が血を分けた兄弟だと認識している様子はこれっぽっちもない。マージとワルテルを車から降ろすと、キャプテンが挨拶に来た。それまでは吠えまくっていたワルテルだが、急に口を閉じ、わたしの背後に隠れようとする。
「ワルテル、挨拶しろよ。おまえの兄弟だぞ」
マージは例によって、とっととキャプテンとの挨拶を済ませると草を食みはじめる。
とりあえず、3頭をドッグランに入れ、ワルテルとキャプテンのリードを放した。キャプテンがワルテルに追い駆けっこを挑む。ワルテルは逃げまどう。
やっぱりこうなるのかとがっかりしながら駆け回る2頭を眺めていた。まだ、犬軍団やカルロに追いかけ回された時の恐怖がワルテルの脳裏にはこびりついているのだろう。しばらくは、他の犬とうまく遊ぶことはできないのかもしれない。
しかし、わたしの心配を嘲笑うように、わたしの足元をワルテルが駆け抜けていった。その顔にはさっきまで浮かんでいた恐怖の影はない。ワルテルは微笑んでいた。兄弟犬との追い駆けっこを楽しんでいるようだった。
「マージ、ワルテル、楽しいみたいだぞ。おれの見間違いじゃないよな?」
マージは頭を上げ、じゃれ合うように駆け回る小僧どもを見つめた。キャプテンからは敵意の欠片も感じられないらしく、マージはワルテルを守ろうともしない。それどころか、あんなに走り回って馬鹿じゃないのといいたげだった。
攻守交代−−いつの間にか、ワルテルがキャプテンを追い回していた。やはり、兄弟同士、なにか通じるものがあるのだろうか。他の犬とは違うなにかがあるのだろうか。
マージの兄弟はもう、みんないなくなってしまった。ワルテルはこの先、いっぱい兄弟と遊べるだろうか。
マージは勝手に草を食んでいるだけで、2頭の饗宴には無関心だったが、キャプテンのお母さんとお姉ちゃんがおやつを持っていることに気づくと、突然性格が変わったかのように、ふたりに愛嬌を振りまきはじめた。つくづく太い性格だと思う。
走っては休み、休んでは走り、結局、小一時間ぐらいドッグランで遊んだだろうか。ワルテルもキャプテンもまだ遊び足りなさそうだったが、マージがすっかりくたびれてしまった。口の周りに泡がたまり、足を動かすのも億劫そうなのだ。
「ワルテル、もうたくさん楽しんだだろう? マージが帰りたいってさ」
駆け戻ってきたワルテルにリードをつけ、キャプテン一家に別れを告げて、我々はドッグランを後にした。
マージには昨日作っておいたスープにご飯、羊の挽肉、すりゴマ、ヨーグルト、エゴマ油、各種サプリ。ワルテルにはドッグフードにスープをかけ、少量のヨーグルトを混ぜ込んだ朝食を与える。2頭ともよほど空腹だったのか、いつもより凄まじい勢いで器の中の食物を食い漁った。
人間はさすがにパンも飽きたということで、ご飯を炊き、キャベツのみそ汁を作り、明太子、笹蒲鉾、納豆などで朝食を摂った。
雲が流れ去り、台風一過の青空が別荘地の林を照らしている。今日は暑くなりそうだった。
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昨日の子がいるよ! |
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キャプテン登場です。
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最初は様子を伺って・・・
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ぐるぐる回って・・・
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一気に走り出す!
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小僧どもが馬鹿みたいに走り回ってるそばにいたら巻き添えを食っちゃうわ。
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* * *
昼前に次女たちが、昼過ぎに連れあいが、それぞれ出かけた。次女たちは軽井沢タリアセンに行くらしい。連れあいはアロー建設で土地の申込書に押印してくるのだ。
わたしはひとり別荘に残り、シリアルと牛乳の昼食を取っただけで、ひたすら仕事に没入する。雨をたっぷり吸いこんだ地面から湿気がじくじくと立ちのぼってきて不快指数は鰻登りだ。気がつけば、額が汗ばんでいる。
いつものように4時に仕事を終え、スポーツパークに向かう。また週末がやって来て、人が増えている。おそらく、軽井沢の騒がしい夏の、これが最後の週末なのだ。
いつものグラウンドは若者がサッカーの練習をしていた。しかたがないので犬たちはドッグランへ。ぶんぶんボールを持参してきたのだが、ワルテルは見向きもしない。ボールなんかより、キャプテンと遊んでいた方が楽しかったのだろう。他の犬の痕跡を求めて、地面の匂いを必死で嗅いでいる。20分ほどで散歩を切り上げ、別荘に戻る。女性陣がすでに帰ってきていた。
晩飯をどうするかをしばし話し合い、週末で人が多いことから外食はやめることにした。いいだろう、5人分の夕食、わたしが作ってやる。
犬たちのご飯の支度を次女に任せ、わたしは自転車で買い出しに出かける。戻ってきたら、汗だくになることを覚悟してジーンズを短パンに履き替え、調理のはじまりだ。
まず、野菜を茹でたり刻んだりしてサラダを作る。続いて、タマネギとキュウリを刻む。今夜のメインディッシュは前回、ひとりで作って食べた、蒸しキュウリのペンネだ。オリーブオイルでタマネギを炒め、細かく切ったキュウリを投入して油を絡ませる。そこからフライパンに蓋をして20分、蒸し焼きにする。その間に湯を沸かし、ペンネを茹で、茹であがったものをタマネギとキュウリに絡め、最後に塩胡椒、バジルで軽く味付けした溶き卵をぶちこんで半熟になるまでかき混ぜる。
と、こう書くのは簡単だが、調理器具が限定された狭い台所で5人分のパスタを作るのは容易ではない。結局、かき混ぜる前に手間取りすぎて、玉子は半熟状にはなってくれなかった。パスタと一緒に、スペイン産のチョリソーをサイドディッシュとして用意して、調理は終わり。わたしは全身汗まみれになっていた。
玉子は半熟にならなかったが、味は総じて好評だった。雪音が少し残しただけで、パスタもサラダもチョリソーもすべてみんなの胃に飲みこまれた。
食後は3女の淹れてくれたコーヒーで葉巻を楽しみながら、レンタルビデオ屋で借りてきた「トゥルー・コーリング」の続きを見る。はじめは面白く感じていたが、シチュエーションが限定されているせいで、回を追うごとに苦しくなってくる。先が読めてしまうのだ。こういうドラマは人気が出ても、決して長続きはしない。長寿番組を目指すなら、どこかを緩めておかなければならないのだ。目指してなんかいないだろうけれど。
「トゥルー・コーリング」の後は、雪音に付き合って地上波で放映されている「猫の恩返し」なるアニメ映画を観た。これがまた、つまらなくてつまらなくて、何度も欠伸を噛み殺し、眠気を振り払うために瞬きを繰り返し、「これ、面白いのか?」と雪音に度々問いかける。
「うん、面白いよ!」
雪音だけがご満悦で、大人はすっかりくたびれ果ててしまった。こういうものに付き合わなければならない世の中のお父さん、お母さんには心底同情する。文字通り「子供騙し」の作品だが、大人の鑑賞に耐えうるものを作らなければ、クリエイターとしての満足はどこに消えるのだ? 金がすべてか?
白けきった気分で犬たちと外に出る。例によって、マージはおしっこをしただけ。わたしとワルテルは自転車で駆けっこだ。夕方の散歩ではあまり運動らしい運動をしなかったので、いつもよりペダルを漕ぐ速度を上げてみる。ワルテルは荒い呼吸を繰り返しながら、しかし、苦もなく自転車と併走した。若いというのはこういうことだ。雪音と同じで、ワルテルも底無しの活力を有している。
散歩から戻ると、バスルームに直行した。夜になっても気温も湿度も下がらない。じっとしていても汗ばんでくるような蒸し暑さだ。ぬるめのシャワーを浴び、汗を流してさっぱりするつもりだったのだが、バスルームから出て、バスローブ姿でソファに座っていると、再びわたしは汗まみれの中年男に戻ってしまった。
白ワインを開け、葉巻を吸い、書評を書かなければならない「冷血」の新訳のゲラに目を通す。そのうち眠くなってきて、わたしはすべてをなげうち、ベッドに倒れ込む。
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