軽井沢日記
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8月27日 軽井沢 44日目

 昨日とは打って変わって肌寒い朝だった。空は曇り。雨が降る様子はない。
 犬たちとスポーツパークに向かったが、駐車場にとんでもない数の車が停まっていた。また、フリスビー大会があるようだ。好きだな、みんな。車の多さにおそれをなし、スポーツパークを素通りして湯川ふるさと公園に行くことにした。
 公園には先客がいた。ゴールデンと黒い小さな犬(遠目だったので犬種は確認できなかった)。しかし、彼らはちょうど散歩を終えたところのようで、我々と入れ違うように公園を出て行った。
 さて、どうやって遊ぼうかと考えていると、テリア(これも犬種はわからない。無知だな、わたしは)が一頭、やって来た。ワルテルの目が輝く。他の犬と遊ぶことの楽しさに目覚めたらしい。リードを引っ張って、テリアの匂いを嗅ぎにいく。
 飼い主にリードを外しても大丈夫かと確認して、ワルテルを自由にしてやる。テリア君はリードを外すとどこにすっ飛んでいくかわからないということで、リードつきのまま。ワルテルはテリアの周りを飛び跳ねた。もちろん、マージは割れ関せずで草を食んでいる。
 テリアの自由がきかないことに気づいたワルテルが嵩にかかりはじめた。唸り、吠え、テリアを威嚇する。そのうち、テリアの方も興奮してきて牙を剥きはじめた。このままでは収拾がつかなくなる。わたしはワルテルにリードをつけた。
 しばしテリアの飼い主と歓談して、別れを告げる。公園から出て行くテリアを名残惜しそうに眺め続けるワルテルを促して、野っぱらの奥に向かう。テリアの姿が完全に見えなくなったところで、もう一度、リードを放してやる。わたしはマージと一緒にぐるぐる歩き、時々、うろうろしながらあちこちに匂いを嗅ぎまくっているワルテルを呼ぶ。
 ワルテルは最初は聞こえないふりをする。わたしに背を向け、草や花の匂いを嗅ぐことに没頭しているふりをするのだ。わたしが少しだけ苛立った声を出すと、ワルテルは今行くよという素振りを見せる。だが、素振りだけでわたしのところに戻ってこようとはしない。
「ワ〜ルテ〜ル」
 最後に、唸るような声を出すと、ワルテルは耳を下げて、てけてけと駆け戻ってくる。おやつがあれば一発なのだが、とりあえず、戻ってくるだけよしとしなければならない。
 30分ほどで散歩は切り上げた。
 朝ご飯、マージは作り置きのスープにご飯、ヨーグルト、羊の挽肉、すりゴマ、ブロッコリのスプラウト、オリーブオイルに各種サプリ。ワルテルはドッグフードにスープをかけたもの。わたしの手作りご飯を食べると便が軟らかくなるとは、なんていう犬だ。
 人間の朝食は、昨日わたしが買っておいた小型の肉まんをレンジでチンしたものだ。これがまあまあの味で、8個入りのものをふたつ買っておいたのだが、すべてなくなった。
 食後はわたしは仕事、女性陣は支度をしてから外出する。日が照ってきていたが、昨日とは違って部屋に吹き込んでくる風は爽やかだ。
 
 
テリアと遊ぶ。
テリアと遊ぶ。
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最初はおっかなびっくりだったけれど、テリアが自由に動けないことを知って強気に出る。
最初はおっかなびっくりだったけれど、テリアが自由に動けないことを知って強気に出る。
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マージは唯我独尊。
マージは唯我独尊。
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わかりづらいけれど、わたしに置いていかれたくなくて急な段差を必死でよじ登っている
わかりづらいけれど、わたしに置いていかれたくなくて急な段差を必死でよじ登っている
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ワルテルが勝手に沢の下の方に降りていった。当然、この後でこっぴどく叱られた。
ワルテルが勝手に沢の下の方に降りていった。当然、この後でこっぴどく叱られた。


* * *

 次女たちが買ってきてくれた「腸詰屋」のホットドッグとサラミサンドで昼食を取る。そのまま次女たちは東京に戻っていった。ほっとすると同時に若干の寂しさも感じる。ワルテルは去っていく彼女たちの背中をいつまでも見つめていた。
 とあるサイトを訪れたら(ゴールデン、シェパード、ボルゾイ、ミックスの多頭飼いのページ。12歳のゴールデン、アルフの笑顔が見たくて時々訪れる)、緊急告知と銘打って、嫌な話がアップされていた。静岡県のとある阿呆なブリーダーが阿呆な繁殖と過ちを繰り返し、92頭もの犬が劣悪な環境下に置かれ、明日をもしれない境遇にある。今現在、その犬たちを救うために奔走している人々がいるので、里親、ボランティア、寄付を募集しているというものだった。満足な餌も与えられず、飲み水は雨頼り、糞と死んだ犬の死骸だらけの犬舎はどこまでも不潔で、犬たちは汚れ痩せこけ、絶望に沈んだ目をしている。
 どうしてこんなことになるのか、こんなことができるのか。愚かに過ぎると断じるだけではやりきれない現実を突きつけられて、しばし嘆息する。
 犬で金を稼ごうとするやつら。なんの知識も持たず、知識を得ようともせずに安易に犬を飼うやつら、捨てるやつら。わたしの周りにも腐るほどいる。犬を可愛がっているつもりで、その実、犬をスポイルしている飼い主たちのなんと多いことか。訓練所に預けた犬が言うことを聞かないと首を傾げる馬鹿な飼い主がどれだけいることか。
 みんな、死刑にしてやればいい。
 里親にはなれない。ボランティアに駆けつけるわけにもいかない。寄付をすることにしてブラウザを閉じた。

* * *

 いつものように4時に仕事を切り上げる。散歩への期待に足元に押し寄せてくる犬どもを撫でながら、さてどうしようかと考える。スポーツパークではまだフリスビー大会が行われているはずだ。湯川ふるさと公園に行こうにも渋滞のことを考えると気が重い。
「一緒にこの辺、歩いてこようか?」
 声をかけると、連れあいは久しぶりにみんなで歩くのもいいわねといって腰をあげた。
 わたしがワルテルのリードを、連れあいがマージのリードを持ってゆったりと散歩に出かける。本当はわたしがマージのリードを持ってやりたいのだが、ワルテルは連れあいを引っ張ってしまうので散歩がしにくいのだ。毅然とした態度で接してくれと口を酸っぱくしていっても連れあいは聞く耳を持たない。困ったことだ。
 車に乗らなくても、マージはうきうきしていた。わたしと連れあいが揃った状態で行く散歩が好きなのだ。いつもより足取りも軽く、前を行くわたしとワルテルに追いつこうと連れあいを急きたてる。
 5分ほど歩いたところに芝を敷きつめた小さな公園があったので、そこに入ってマージのリードを放した。ワルテルはリードつきのままだ。ここで、ワルテルに「ヒール」の訓練を施した。マージや連れあいの様子が気になって度々振り返ったりするので都合がいい。ワルテルがリードを引っ張るたびに方向転換をしながら「ヒール」と鋭く命じ、自分の太股を2回叩く。ワルテルは慌ててヒールの位置に戻ってくる。だが、すぐにマージのことが気になって振り返る。また方向転換だ。
 ノーリードのマージはわたしたちの後をゆっくりついてくる。少し距離が離れたところで立ち止まり、マージを呼んだ。
「マージ、頑張れ!」
 連れあいがマージを鼓舞した。その途端、マージは走りはじめた。動きが鈍くなった後ろ脚で懸命に地面を蹴ってわたしのところにやって来る。疾走の距離は短いが、マージがしっかりと走る姿を目にするのは久しぶりだった。
「ステイ!」
 マージと遊びたくてリードを引っ張るワルテルに命じ、わたしはマージを待った。すでに走ることはやめていたが、マージは頭を上下に振りながら歩いてくる。
「お疲れさん」
 懐に飛び込んできたマージを抱きしめ、思いきり撫で回してやる。マージは荒い息を繰り返しながら尻尾を振った。ワルテルがぼくも撫でてくれよとわたしたちの間に鼻を突っこんでくる。わたしは2頭の首に両腕をまわし、抱き寄せた。

* * *

 散歩の間にワルテルは二度、ウンチをした。どれもころころと太いウンチだが、量が多すぎる。手作り食からドッグフードに換えて、ワルテルが一日に何度ウンチをするようになったかを数えてみる。
 朝起きて、トイレシーツにウンチが乗っている。朝の散歩の間にウンチを1回から2回する。夕方の散歩でたいてい1回。夜の散歩で1回から2回。
 多い時で6回もウンチをしている計算になる。大丈夫なのだろうか、あのドッグフードは。まあ、軟便にはならないから、なくなるまでは与え続けるつもりだが・・・

* * *

 マージにはケーナインヘルスと鶏ササミの晩ご飯。ワルテルにはドッグフードに少しだけ鶏ササミを混ぜた物を与える。
 さあ、人間の晩ご飯はどこで食べようと連れあいと相談をしていると、電話が鳴った。文藝春秋のT君からだった。
「あの、馳さん、今日は何時頃お見えになりますか?」
「今日だっけ?」
 わたしは反射的に答え、こめかみを押さえた。文藝春秋の保養所での焼肉パーティに招かれていたのだが、明日行けばいいものとばかり思いこんでいた。
「30分ぐらいで行くよ」
 慌てて電話を切り、連れあいに化粧を促した。書類を届けるために偶然やって来た清水さんの車をにわかタクシーに仕立て、文春の保養所に向かう。場所は旧軽井沢の一等地。広大な敷地の庭で、みんながテーブルを囲んでいる。出席者は文春の社員と逢坂剛一家、大沢在昌一家、小池真理子大姐、唯川恵大姐だ。遅刻を詫びながら、宴会に乱入する。すでに肉はかなりの量が焼かれていて、わたしは白ワインで肉を胃に流し込んだ。わざわざ東京から運んできたというカルビは肉質が柔らかく、タレがよく馴染んで絶品だった。
 一時間ほど庭で談笑していると、雨が降りはじめた。全員で保養所の中に非難し、そのまま宴会は続く。気がつくと泥酔し、時刻も11時を回っていた。タクシーを呼んでもらい、みなに暇を告げる。連れあいは小池、唯川、両大姐と楽しくかしましく話しこんでいる。帰るつもりはないだろう。
 わたしはひとりタクシーに乗りこみ、犬たちが待つ別荘に戻った。喜び勇む犬たちを外に出したはいいが、雨はまだ降り続け、泥酔したわたしの足はもつれている。
「ごめんな、ワルテル、今日はだめだ」
 わたしはワルテルに謝り、2頭を別荘に戻した。マージはそれでかまわないのだが、ワルテルは明らかに運動が足りていない。しかし、こういう夜もある。おそらく、たびたびある。ワルテルには慣れてもらわなければならない。
 短かった散歩の代わりに、犬たちはおやつを期待しているようだったが、わたしにはそれだけの気力もなかった。なんとか歯を磨き、パジャマに着替え、ベッドに倒れ込むとそのまま眠りの世界に引きずり込まれていった。






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