軽井沢日記
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9月5日 軽井沢 53日目

 雨が降っていた。気温も低い。食べ過ぎた胃と、過剰なアルコールを送り込まれた肝臓が、もっと休息が必要だと訴えていた。気温も低いし、まだいいかご目覚ましを止め、そのまま目を閉じる。
 マージに起こされた。目覚ましは7時半を指している。
「どうした、マージ? 具合が悪いのか?」
 マージはわたしを見つめ、ひんひんと鳴く。具合が悪いわけではなさそうだ。ならば、オシッコかウンチが我慢の限界に来ているのだ。
 慌ててマージにレインコートを着せる。外はかなりの雨だ。林の下にいてもすぐにずぶ濡れになる。
 コートを着せている最中、マージの股間から雫が数滴落ちてきた。オシッコが漏れている。ショックを受けながら作業を急いだ。
 昨日の夜オシッコをしたのが11時。まだ8時間半しか経っていない。元気だったころのマージは12時間ぐらい、平気で我慢できたのだ。膀胱も括約筋も衰えてきている。
「マージ、ごめんな。我慢できなかったら、ワルテルのシートの上でオシッコしてもいいんだぞ」
 わたしはそういったが、マージが決して家の中でしないだろうことはわかっていた。そうなる時は、マージにはおむつが必要になる。外で用を足せと教えたわけではない。マージは自らの意志で外でしか用を足さなくなった。元気なころは家の中が汚れずに済むと喜んでいたが、こうなると、家の中でするように躾ておくべきだったと思う。
 犬を飼うということは無知からの脱却−−勉強の連続だ。
 外に出すと、マージはその場でしゃがみ、大量の放尿をした。ワルテルはすでに家の中でウンチを済ませていたので、オシッコをするだけ。
 しばらく林の下をうろついて、別荘に戻った。また、台風が近づいている。明日の夜、一旦東京に戻る予定なのだが、前回と同じく、台風の最中を突っ切らなければならないのだろうか。
 昨日作っておいたスープ(エノキダケ、セロリ、トマト、煮干し)とご飯、レンジでチンしたサーモン、ヨーグルト、各種野菜のみじん切り、すりゴマ、オリーブオイル、各種サプリ。ワルテルにはご飯をドッグフードに換えたものを与える。当然、完食。マージの食欲は完全に元に戻っている。
 我々は昨日のお土産のご飯松茸のお握りを食べた。
 10時にマージを病院に連れいていき、最後の注射を打つ。これで組織細胞治療のプロトコルは終了だ。木曜日に横浜のプレマ動物ナチュラルケアクリニックに連れていき、診断をしてもらう予定になっている。
 別荘に戻ると、いつもは一緒に連れていってもらえるのに留守番を命じられていたワルテルが待ち構えていた。
「悪かったな、ワルテル。でもお姉ちゃんがいたから寂しくないだろう」
 わたしはワルテルをなだめた。犬を飼っている人たちは、犬に対する自分たちを「お父さん」「お母さん」と認識する人が多いようだが、子供がいない我々には、そう自分たちを呼ぶことには抵抗がある。我々は兄であり、姉なのだ。
 朝食の量が少なかったので、十一時過ぎにはすっかり空腹になっていた。
 冷凍庫から取り寄せの雪村蕎麦を出して解凍し、茹でた。そばつゆは東京のわたしが懇意にしているレストランのシェフがわざわざ作って送ってくれたもの。蕎麦もつゆも美味しい。あの横柄な蕎麦屋の店主に食わせてやりたいものだ。

* * *

 仕事が順調に進み、3時半には仕事を切り上げた。雨は飽きることなく降り続けている。スポーツパークは諦めるしかない。
 犬たちと外に出ると、マージは迷うことなく駐車場に向かっていった。
「マージ、今日は車には乗らないぞ」
 そう声をかけ、ワルテルと別方向に歩いていくと、マージはその場に立ち止まってわたしと駐車場の方を交互に見た。
「元気になったのは嬉しいけどさ、マージ。この雨だろう。外でに出て散歩は無理だよ。ここで遊ぼう」
 辛抱強く語りかけると、マージは渋々ながらわたしの意志に従った。とことことことこ、敷地の中を歩く。やがて腰を屈めて用を足したが、便が緩い。やはり、昨日おやつをもらいすぎたようだ。
 10分ほどそうやって別荘に戻った。マージの運動はとりあえずそれで充分だが、ワルテルはそうはいかない。この雨はしばらく止みそうにもない。濡れてもなんでも走らせてやる。とはいっても、そのためにわたし自身がずぶ濡れになるのは困る。
 妥協の産物−−自転車で敷地内を走り回った。狭い道路を何度も何度も往復する。退屈ではないかと何度も確認したが、ワルテルは嬉しそうに走っていた。
 マージにはケーナインヘルスと一緒に煮込んだ馬肉。ワルテルにはドッグフードと馬肉少々。マージにご飯を与えている間、ワルテルは部屋の中を落ちつきなく動き回っている。自分の番がまわってくると、悲鳴に似た声を漏らしながら食事をする場所に突進してくる。ハンド、チェンジ、ダブル(ちんちん)、キス、ダウン、スィット。各種命令をこなすのももどかしそうだ。最後にわたしの目を見て、「OK」。ワルテルは涎を撒き散らしながら食器に鼻面を突っこむ。そして、先に食べ終えてマージのところに行く。可愛いものだ。
 我々人間はというと、6時に清水さんが迎えに来て、南軽井沢の手作り餃子専門店「晴天屋(はれるや)」に向かった。一昨日、店の前を通って気になり、清水さんに連れていってくれと頼んでいたのだ。奥さんの五月さんと一善君も一緒。相変わらず静かな赤ん坊で気が休まる。
 餃子専門店らしく、メニューは潔かった。各種餃子にライスとスープ、あとは酒の肴系のものが数品あるだけ。餃子、チーズ餃子、ピリ辛餃子、しそ餃子、肉餃子−−メニューにあるすべての餃子を一皿ずつ注文する。焼き上がった餃子は、はじめ皮が柔らかすぎると感じたが、食べ進んでいくうちにパリパリに焼かれた底と皮自体の柔らかさがふたつの食感を生んで、意外に美味なことに気づく。具の美味しさにも文句はない。
 ライス、スープと一緒に餃子をはふはふいいながら食べまくり、満腹。ここはリピートしてもいい。
 今夜は所用があって長野に行くという清水夫妻に別荘まで送り届けてもらって、帰宅したのは午後8時。マージとワルテルはいつものようにわたしたちを出迎えてくれた。

   
* * *

 雨をついて外に出る。朝も夕方も散歩の時間が短かったせいか、いつもなら用を足すとすぐに別荘に戻りたがるマージがわたしとワルテルの後をついてくる。
「マージ、今日は怖くないのか?」
 わたしが声をかけても、マージは一心不乱に歩くだけだ。
「そうか、歩きたいのか。じゃ、歩こう」
 しとしとと雨の降る中、わたしと2頭の犬はゆっくり歩いた。ワルテルもおとなしくわたしの歩く速度に合わせている。マージはまた軟便をした。しかし、歩く姿に異常はない。わたしは振り返り、振り返り、マージの様子を何度も確かめる。マージは少しだけ表情を緩ませながら、腰を重そうに上下に振りながら歩く。だが、敷地の隅の方の、明かりが届かない暗がりに入っていくと、その足がぴたりと止まる。
「これ以上暗くなると怖いか、マージ」
 わたしがUターンすると、マージはほっとしたような顔をしてまた歩きはじめた。わたしが歩くのとは別の方角−−別荘に向かっていく。
「わかったよ、マージ。もう帰ろう」
 濡れたマージの後始末を連れあいに任せ、わたしとワルテルは再び、敷地内を自転車で走った。
 ご飯を食べてくれるのが嬉しくて、少し量を与えすぎているのかもしれない−−マージの軟便を捨てながら考える。明日の朝ご飯はどうしようか・・・。赤ワインを開け、葉巻を吸い、マージの頭上でペンダントを回す。雨は降り続けている。明日も雨だろう。明後日には台風がやって来る。
 わたしは憂鬱を抱えながら、静かな酔いの中に沈みこんでいく。

   
かったりぃな、足、早く拭けよ。
かったりぃな、足、早く拭けよ。
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面倒くせえ、襲ってやる!
面倒くせえ、襲ってやる!
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仕返しにリボンつけられちゃった・・・(終日雨のため、写真撮れず)
仕返しにリボンつけられちゃった・・・(終日雨のため、写真撮れず)


   







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