軽井沢日記
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9月21日 軽井沢 69日目

 連れあいが戻ったことで気が緩んだのか、目覚ましを止めながら、また目を閉じてしまた。次に気がついたのは7時44分。慌てて布団をはね除ける。ラジオフライヤーをデッキから降ろし、ワルテルを近くに繋いで、マージを完全武装させる。外に出し、支えながらおしっこをさせる。もうタイミングは飲みこんだ。マージに気持ち良くおしっこをさせてやることができる。
 とりあえずウンチも促してみたが、マージは動けない。
「じゃあ、公園に行こう。フライヤーの上で少し休んで、もう一回チャレンジだ」
 ワルテルを従えてフライヤーを引く。腰がどんよりと重い。このままの状態を続ければ、いずれパンクすることは目に見えている。昨日、整体の予約を入れておいてよかった。貸別荘で働いているKさんに紹介してもらったのだ。普通の整体ではなく、脳と患部の間の神経を回復させるのだという。
 公園でマージを降ろし、また支えながら排泄を促す。マージはよろめきながらしばし歩き、中腰になった。固い固形状のウンチがぼろぼろと落ちてくる。出し終えたマージを近くのベンチに乗せ、ウンチを袋で拾う。いくつかのウンチは石のように固かった。
「辛かっただろう、マージ。でも、出せて良かったな」
 マージはわたしの声に微笑み返した。
 ワルテルのリードを外してやる。マージが多少元気を取り戻したのがわかっているのか、ワルテルは好き勝手に公園内を駆け回った。どこにいても、わたしがカムと声をかけると戻ってくる。まだ完璧ではない。だが、この年頃の牡にしては命令が効く方だ。ジャーキーを期待しているのだが、それがなくても、わたしに褒められることを喜んでいる。
 10分ほどワルテルを遊ばせてから帰途につく。また、軽井沢駅経由だ。登校時間とぶつかって、ミニスカートの女子高生があちこちにいて、フライヤーに乗ったマージに驚き、ついで、ワルテルを見て「可愛い!」と歓声をあげる。足の長い子も短い子も、細い子も太い子もおしなべてパンツが見えそうなミニスカートで、わたしはいささかげんなりする。
 十代のころ、わたしは他人と違う恰好をしたくてしょうがなかった。パンクロックに夢中だったせいで、わざとカッターで切ったTシャツやジーンズを穿き、あちこちに安全ピンをくっつけていきがって歩いていた。真面目な生徒も不良も、わたしと同じ服装をしている人間はいなかった。それが嬉しくてたまらなかった。どうして同じ服装、同じ恰好をして気持ち悪くならないのだろうか。それが制服だといえばそれまでだが、十人が十人、同じ長さのスカートを穿く必要もあるまいに。十代といえば自意識過剰が当たり前の年代だと思うのだが。
 別荘に戻り、犬たちの散歩の後始末を連れあいに任せて、わたしは朝食の支度に取りかかる。マージには作り置きのスープに二〇穀米入りご飯、細かく切った生の馬肉、ヨーグルト、各種野菜のみじん切り、すりゴマ、グレープシードオイル、ステロイド、各種サプリ。ワルテルにはドッグフードにマージと同じおかずを少量ずつ。
 マージは匂いを嗅ぎ、顔を背けた。乳酸菌飲料を足してやるとスープだけ舐めた。粉チーズをふりかけてやるとご飯と肉も少しだけ食べた。だが、それだけだ。
「食欲ないのか、マージ?」
 調子が良さそうだったのに食べないことにショックを覚え、わたしは食器の中の肉を掌にすくってマージの口もとに持っていった。マージは食べた。肉だけではなく、ご飯も野菜も、わたしの手からなら食べる。
 食欲がないのではなく、ただ甘えているだけではないのかという疑念が頭をよぎった。しかし、そうであってもかまわない。甘えたいなら好きなだけ甘えればいい。十一年の間、わたしはどちらかといえば厳しいボスだった。もういい。もう充分だ。
 結局、マージはご飯を半分残した。甘えていたわけではないのだろう。点滴の効果が薄れてきて、少しずつ体調が悪化してきているのだ。
 ワルテルは完食。こちらはなんの問題もない。
 自転車でマクドナルドに行って、朝マックセットを買ってくる。それを食べてから、予約を入れておいた整体に行く。
 ちょっと驚きだった。まず、右手の親指と小指を合わせて力を入れる。先生がわたしの首に左手で触れながら、右手でわたしの指を引き離そうとする。指は簡単に離れてしまう。今度は、わたしの胸に触れながら指を離そうとする。だが、指は頑固にくっついたまま離れない。
 指が離れるということは、脳と患部の神経の繋がりが滞っているということなのだそうだ。先生はわたしの身体の状態を探りつつ、ずれた頸骨の位置を直していく。痛くはない。気持ち良くもない。だが、頸骨の位置が矯正されるたびに、簡単に離れていた親指と小指が強力な接着剤でくっつけたように離れなくなる。身体の奥にたまった澱のようなものが少しずつ薄れていくような気がする。
 30分ほどで施術は終わった。普通の整体なら1時間やってもらってもほぐれないのだが、かなりすっきりしている。
 別荘に戻り、仕事をはじめる。

公園のベンチで一休み。
公園のベンチで一休み。
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マージ、大丈夫? ワルテルが様子を見に来る。
マージ、大丈夫? ワルテルが様子を見に来る。
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その後はひとり遊び・・・。
その後はひとり遊び・・・。
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へへ、ぼくも一休みしちゃうもんね。
へへ、ぼくも一休みしちゃうもんね。
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軽井沢駅前にて。
軽井沢駅前にて。
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新しい玩具と格闘中。
新しい玩具と格闘中。


* * *

 2時ぐらいになって、マージがわたしを見つめていることに気づいた。呼吸が荒い。また熱が上がってきたのかもしれない。
 保冷剤をタオルにくるんで脇の間に挟ませる。しばらくすると、マージはまた眠りに就いた。外では小雨が降りはじめていた。
 ラジオフライヤーに乗せるのは諦めて、マージにおしっこだけさせる。突然しゃがむので気が抜けない。ハーネスとタオルを掴んで若干屈みながら蟹歩きするので腰にも負担がかかる。マージにとってもわたしにとっても排泄は体力勝負だ。
 マージの後始末を連れあいに任せて、ワルテルと自転車走。気分転換にいつもとは違うコースを走ってみる。へえ、この道はここに繋がってるのかぁ−−2ヶ月も暮らしているのに新たな発見が多い。
 ケーナインヘルスに細かく刻んだ馬肉、カテージチーズとヨーグルトを混ぜ込む。マージは完食した。
 ワルテルには朝、マージが食べ残したご飯に肉と野菜を大量に足してやる。すまん、ワルテル。君は残飯処理係だ。しかし、ワルテルはそんなことは気にせず、がつがつと貪り食う。
「藤村」でもらった松茸3本の泥を落とし、薄くスライスして米と一緒に炊飯器に放り込む。市販のめんつゆを薄く伸ばして注ぎ、スイッチオン。
 松茸ご飯が出来上がる合間に、エリンギを切ってアルミフォイルに乗せ、バジルペーストとマヨネーズをふりかける。フォイルを畳んで閉じ、網に乗せて焼く。その他のおかずは、スーパーで買ってきたお総菜−−若鶏の磯辺揚げ、オクラとヒジキの和え物−−が残りのおかず。
 松茸ご飯は奇跡的に最高の仕上がり具合で炊けた。エリンギのフォイル焼きも素晴らしい。美味しいね、美味しいねと痴呆のように呟きながら食べる。
 幸せな気分で食べ終え、お茶を飲む。唯一残念なのは雨足が強まっていることだ。
 急に読みたくなってネット書店で買った平井和正の「ウルフガイ」シリーズを読む。犬神明の血が欲しい−−またぞろ馬鹿げた妄想を弄ぶ。
 時間通りにマージをオシッコに連れだした。雨で視界が奪われ、足元が滑る。マージがしゃがむタイミングを逃してしまった。マージはそのまま地面に伏せる。もう一度立たせて促したが、マージはそれ以上、オシッコをする素振りを見せなかった。忸怩たる思いに駆られながらマージを抱えて別荘に戻る。腰が悲鳴をあげていた。
 自転車に乗るにしても雨が強すぎた。ワルテルも敷地内でしばらく歩くだけでお茶を濁す。雨は本当に恨めしい。
 ふかしたサツマイモと菊池動物病院でもらった鶏のリードボーをイタリアンで調理したというおやつを2頭に与える。マージは飢えたように食べた。ワルテルはいわずもがな。
 ウルフガイの続きを読み、12時過ぎに本を閉じた。
「マージ、もう一回オシッコしに行こうか?」
 わたしは声をかけた。だが、マージは反応しない。怠そうに横たわっているだけだ。
「無理か・・・マージ、我慢しなくていいからな。オシッコしたくなったら、好きなところでしていいんだぞ」
 わたしはマージを抱きしめ、わたし自身と天気を呪った。






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