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9月22日 軽井沢 70日目
マージがオシッコをしたがるのではないか−−そう思うとなかなか寝つけなかった。浅く眠っては目覚め、マージの様子を見る。マージはベッドの脇で深い眠りに入っているだけだ。
何度そうしただろう。突然、ワルテルの吠える声で目が覚めた。ワルテルは居間のベランダのカーテンの隙間に首を突っこんで外を見張っていた。午前5時−−溜息が出る。
「ワルテル、いい加減にしろ!!」
わたしの本気の怒りが伝わって、ワルテルは沈黙した。
次にわたしを叩き起こしたのは目覚ましだった。瞼が重く、頭の芯が痺れている。寝不足による疲労が手足の先まで行き渡り、わたしはまるで歩く死人だった。
マージを完全武装させて外へ。しつこい霧雨が辺り一帯を覆っている。昨日の失敗は繰り返すまいと慎重にマージを支えた。まずはオシッコ。し終えると、しばしその場で休ませる。わずかに体力を回復した兆しが見えると、歩行を促す。マージはよろよろと歩き、立ち止まり、腰を浮かせ、尻尾をあげた。大便は小便よりいきむ分だけ体力を消耗する。わたしはありったけの力でマージを支えた。大粒のウンチがぽろぽろと落ちてくる。マージは疲労困憊だった。
「頑張ったな、マージ。よく頑張ったな」
マージを抱きかかえ、耳許で囁き続ける。用を足せばわたしが喜ぶ−−その因果関係に気づけば、マージを奮い立たせる触媒になってくれるはずだ。
「ワルテル、今日はふたりでゆっくり歩こうか」
わたしはワルテルと外に出た。アスファルトは一面濡れている。自転車の車輪と自らの足が跳ね上げる水で、ワルテルは泥まみれになるだろう。てくてく歩けば問題はない雨量だった。
30分ほど近所をうろつき回って別荘に戻った。マージの様子を見、普通のご飯は食べないと判断する。ケーナインヘルスを煮て、マトンの挽肉を解凍する。ヨーグルトとカテージチーズ、すりゴマを加え、各種サプリを振りかける。
マージは半分だけ食べた。連れあいが東京から持ってきたホメオパシーのデトックスキット(解毒セット)をパンに垂らし、なおかつステロイドの錠剤を中に埋め込んで食べさせる。さらにプロセスチーズ。マージはすべて食べた。
ワルテルにはドッグフードに作り置きのスープをかけ、さらにカテージチーズ、マトン少々を加えてやる。完食。
松茸ご飯を温め、明太子を一口大に切り、「藤村」でお土産にもらった鮎の甘露煮を温め直す。後は納豆とキムチ。
満腹になると、眠気が甦った。なにをするにしても、頭に靄がかかった状態で、目に映る物すべてが虚ろだ。心に鞭を入れて車に乗り込み、中軽井沢のドラッグストアに行った。シップと腰用のサポーターを買う。別荘に戻り、シップを腰に張って雑用をこなす−−限界が近かった。
わたしはベッドに潜り込んだ。
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| 霧雨の中、自転車と併走中のワルテル。 |
* * *
目覚めたの午後2時。頭にかかった靄も消えていた。
小振りの肉まんをふたつ、レンジで温め、昼食代わりにする。仕事は諦め、メールをチェックし、日記を書く。雨はあがっていたが、底冷えがした。
サポーターを腰に巻きつけてマージを抱きかかえる。なにもない時よりはずいぶんと楽だ。マージは頑張ってオシッコをした。それだけで体力を消耗して動けなくなるのはいつもと同じだった。頑張ったことを褒めてやりながら、もう一度抱きかかえて別荘に戻る。目には力がある。表情だって衰えた感じはしない。ワルテルに怒る元気もある。それなのに、マージは歩けない、動けない。
細く長い針で胸を貫かれたような悲しみが胸を刺す。悲しみを押し殺して、ワルテルと自転車走に出かける。
ワルテルの元気さだけが救いだ。また別のコースを走る。泥を跳ね上げながら、ワルテルの足取りはどこまでも軽快だった。
ケーナインヘルスに馬の粗挽き肉、ヨーグルト、すりゴマ、オリーブオイル。
マージは完食した。ほっとする。
ワルテルにはマージの朝ご飯の残りにドッグフードを加えて食べさせる。うちの残飯処理係は優秀だ。食べ終えた後のステンレスの食器はいつもぴかぴかに光っている。
餃子を焼き、麻婆豆腐丼を作る。いささか塩味が強かったが、旨い。唐辛子より山椒の辛さが後頭部のあたりで爆発する。寒いのに汗まみれだ。
マージをマッサージする。お腹に内出血の痕ができていた。痛々しい。タオルで支える時に圧力がかかってしまうのだ。なにか別の手を考えなければ。苦しそうに呼吸をしているマージに、声に出さずに語りかける。
マージ、おれはずっとそばにいるぞ。なにも不安に思うことはないぞ。
やがて、マージは眠りに就く。ワルテルがそばにやってきて、マージに身体をくっつけるようにして横たわった。ワルテルなりに心配しているのかもしれない。
* * *
サポーターのおかげでマージの散歩が格段に楽になった。マージは夜の方が体調が上向くようで、朝の倍は歩いた。もちろん、わたしの支えがあってのことだが、筋力が落ち続けるよりはいい。
ワルテルと自転車走に出て、別荘に戻る。
精神と肉体の疲弊をはっきりと感じる。だが、それがなんだというのだろうか。マージはわたしよりずっと苦しんでいる。わたしのそばにいたいがために必死で生きようとしている。わたしの疲れなど、その前ではなにほどのこともない。
ぐったりと伏せているマージのそばに身体を横たえた。腕枕をしてやる。マージはそれを当然のことのように受け止め、少し甘える仕種をしてみせた。ワルテルが目敏くやってきて、自分も同じようにしてくれとせがむ。
わたしは2頭の犬に腕枕をして天井を見上げた。途端に脳が活動を停止しようとする。
まだだ。まだ眠るわけにはいかない。わたしは2頭の頭からそっと腕を抜いて立ち上がる。
「おやつだぞ」
そういうと、ワルテルは飛び起き、マージはゆらりと顔をあげた。サツマイモとリードボーを食べさせてやる。マージもワルテルも一気食いだ。この勢いで朝ご飯も食べてくれればいいのだが。
12時過ぎに床に就いた。マージはベッドの足元で死んだように眠っている。わたしがキスをしても目覚めない。疲れているのだ。くたびれているのだ。眠れ、眠れ。少しでも体力を温存しろ。わたしは自分自身にもそういい聞かせて目を閉じた。
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| マージとワルテルの夜、その1:あの・・・小僧が近寄ってくるんですけど。
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| マージとワルテルの夜、その2:えっと・・・眠れないんですけど。
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| マージとワルテルの夜、その3:この小僧、なんとかしてよ(怒)。
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